4月1日の日記

2022年4月1日 日常
やっと対人援助職のライセンス合格できた、嬉しいです

2023.06.14 pm17:35
精神保健福祉士として
 

3月31日の日記

2022年3月31日 日常
明日からも淡々と具体的に頑張っていこうと思います


2023/05/22
あの課長くそだな。まじくそ。勘違い野郎にもほどがある。マジくたばれ。

2023/06/02
このDiaryNoteって本当に書きやすい。無駄に改行しないから、どんどんかけるしNoteなんて勝手に改行するから書きにくくて仕方がない

2023/06/13 am02:00
生きていくことは簡単じゃない。だけど、嫌なことを嫌と言えるようになったのは成長したと思うことにしよう。それで首がしまることは、これまでにもたくさんあったけれど、それでも私は乗り越えてきたじゃないか。今回もなるようにしかならない。けど、これまで諦めてきたような態度でこの事態の解決を望んではいけない。私は私を守って大切にしていく責任があるし、この私を大事にしてくれている人たちのためにも、この先その人たちに恩返しするためにも「艱難汝を玉にす」と意気込もうではないか。いつだって逆境だったけれども、それは終わりを告げようとしている、いや終わったんだ。本当に長い孤独な闘いは終わったんだ。

幸せを勝ち取りに行こう。

2023/06/14 am02:00
恋人を失望させてしまっている。情けない。情けないけど顔を上げて取り組まなきゃ。

2023/06/21 am01:00
面接を受けた。とっても緊張した。受かっていてほしいと思う。希望の職業につくために今まで頑張ってきたのに、年齢で足切りされちゃうの辛いなあ。報われたいよ。ただの作業員として定年まで生きるのは実存が辛い。報われたいよ、報われたいよ、報われたいよ。報われるために一切を捧げてきたんだ。

2023/06/26 am00:08
先日の面接の結果は残念な結果に終わったけど、行きたくないなあと思っていたところだったから忘れよう。ただ、面接があるというのは離職者にとっては希望だった。それから2つ手渡しと郵送をして、郵送したほうから連絡がやってきて面接になる。あと今日のお茶の時間には派遣会社との契約がありそうなので、とりあえずは生きていけそうと踏んでいる。が、明日27日は本命の面接があって、どうプレゼンテーションをしようか考えている。なにはともあれ、報われるために、幸せになるように考えて行動をしていこう。
受からなかったら死んでしまいそう

今年の国試は本当によくできたと思う。
準備期間は少ないながらも、例年であれば合格点だった点数を叩き出した。 それなのに合格ラインが101点で、自己採点は105点だったもののどうやらマークミスがあり99点で未合格という結果になった。

試験後すぐに自己採点をしていい点数だから、もう合格したとばかりと思っていた。何かの手違いがなければという余白は持っていた。今年は色んな重たい物を下ろして楽しいことを思う存分やるんだという気持ちでいたのに、3月15日の結果発表で久しぶりに心底ゆらいだ。そしてホッとした。自分は未合格であったけど例年の合格ラインに立つことができたんだと。

そうしたらずっと悪かった胃が良くなった。
齢  歳にして勉強はめんどくさいけど面白いものだと心持ちを転換することができた。
小学3.4年生の時はテストを解くことや覚えることに充実感を感じていたし、酷い教師に成長型マインドを壊されて、それを20年余かけて取り戻すことができた。本当に長かったと思う。

すべての人に本当にありがとう。

1月17日の日記

2022年1月17日 日常
君は大丈夫だ
自分がどれくらい疲れているのかもわかり始めてるし、無理をしないでたんたんと作業ができるようになっていっていると思う。作業には効率性を高めることが大切だけど、フラフラしようが目的達成に近づいているのならそれでも良いことにしよう。

自分を褒めにくかった人が褒められるようになると途端に生きやすく生活に張りが出てくる。生きててよかったなあ、本当に辛かったなあと思う。生きててよかった、この先も不幸はあるけれど、幸福もまたこの先で待っていて過ぎ去っていくのだから、未来志向で楽しんで生活をしていきたい。
認められよう認められようとすると必ず失敗する。
だからこそ内発的な、主体的になれるように外部エネルギーが必要なんだ。

自分自身の幸せについては他者律で行動すると絶対に幸せになれない。
何か他者や社会の埋め合わせをして偉くなることは立派なことではないんじゃないか?
自分自身が幸せになることは他人を蹴落とすことにも少なからず繋がっているのだろう。けれども、自分の幸せを願ってくれている人たちのために幸せになるのではなく、そうした応援の前に自分自身が健やかで幸せになる。その結果として応援してくれている人たちへの恩返しとなるはず。

したがって自己不全感がある、そうしたものを持たされてしまった人は自分が生きていくエネルギー貯蔵庫の穴を一緒に塞いでくれる他者や外部エネルギーやストロークが絶対に必要。それらからの愛情や関心や糧にエネルギー貯蔵庫の修復と新設、新しい認知システムと生存戦略を自分自身の高い依存心を低減させながら行なっていく。

12月28日の日記

2021年12月28日 日常
40代以降は書き留めていかないと思い出せないとどこかでみたけど、今でもそうなのだからブログやノートに書き留めるのは積極的にしておこうと改めて思う。

もうずいぶんとブログの更新をしてこなかった。それは人の目を気にするようになったからで、でもそこから脱却ができなかった自分がいた。書き留めていないと思考がままならないのは今に始まった事ではない。書き留めたことを次の日に読み返して反芻して自己点検と自己覚知を10代からやってきたではないか。言葉遊びと共に。

12月28日の日記

2021年12月28日 日常
とりあえず,頑張ってこう

10月31日の日記

2021年10月31日 日常
おおいに眠いいいいい

9月13日の日記

2021年9月13日 日常
迷うことはないはず迷うことはないはずなのになんかもう認めよう。

迷うことはないはずだ!

9月1日の日記

2021年9月1日 日常
はやくねよう、早く寝たいとは思っているよう

なかなか難しいね

5月31日の日記

2021年5月31日 日常
仕事決まって欲しい、希望を感じたいし確かなものにしたい、
不安が不安を呼んでどうしようもなくて寂しいしやわなっちゃうなあ

楽しく生きていたい、ちょっとの辛抱は耐えられるけど多大な負担は耐えられない。そうなったら僕の責任じゃない。何でもかんでも背負い込んで処理できないし誰もそれを望んでもいないのだから、無理なものは無理と言っていいはずだし、それに批判しようものならお前がやれと思う。



まあ、今日のサイクリングは楽しかったなあ

5月19日の日記

2021年5月19日 日常
ああああしごときまってくれええ

4月16日の日記

2021年4月16日 日常
大失恋しそう

3月3日の日記

2021年3月3日 日常
人は変えられないことを原則にしていると人を変えようとしてくる人に腹が立つ。
どれくらいぶりだろうか、ドスの効いた声を出したのは。覚えてないくらい。

3月1日の日記

2021年3月1日 日常
ドライブに行きたいなぁ

子供が欲しい人と欲しくない人との関係は長く続かないと思う。
恋人が欲しくないと思っているようで、それを聞いてからめっきり興味がなくなってしまった。

愛情や気配りに才能がある人で、前途多難な自分にとって本当にありがたい存在なのだけれど、愛情の芽生えは勘違いの連続なので、その勘違いを起こさせてくれないのはつまらない。
人間を道具にしてはならないし、そうした倫理観のもと生活してきて、説得するのもどこか違う。今のところ求職者の自分にとって結婚も遠い話でこどもを授かるのはもっと縁遠いものだけれど、可能性がないことを示されるのは僕にとって心底辛い。諦めて結婚をもしして、待ちゆくこども達や子連れの夫婦を見るのは心苦しくなると思う。まだ、結婚をして努力してみたけど無理なことがわかったのなら、まだ諦めもつく。

友達になろうか?

試験前

2021年2月2日 Development
PSWの試験前 まぁ体調が安定しない。
色んなストレスで胃炎になってしまったから、それで薬を抜いたら出力が出なくて行動しにくい。しかも、今朝は2時に起きたもんだからせっかくのお目覚めタイマーをセットしたのにただの騒音だった。

あと嬉しいことに恋人ができた。。。のだけれど、試験終了まで会わないといったらワンワン泣かれるわ、構えだとか言われて結構疲れた。僕のことを尊重すると言いながら、お互いに甘えが出て、単純に僕は疲れた。僕は一つのことしかできないからあれこれ課題を積まれるとそれが小さかろうが押し潰されてしまう。お世辞にもそうしたところで強い人間とは言えない。

せっかく試験を受けるのに、それだけのためじゃないけど仕事をやめたのに試験をパスできなかったら嫌だな。遂行機能障害は本当に厄介でいまだに調整が難しく感じている。けど、嫌だけど落ちたとしても障害のせいにしないで、自分の準備不足と思いたい。自分はもうイイ加減に責任を取れる大人になりたいから。
今でも時折、腹を立てているのは大切な友人が「不特定多数がみるブログに恥辱を晒している人の気持ちがわからない。そんなものはノートに書いた方がいい」といったことだ。いまだに腹を立てている。
それを聞いてからのブログはその言葉を気にしてしまい、生活に影響が出た。大きなコーピングの方法をもがれたかのように思う。片翼を抉り取られるが正しいかもしれない。またその言葉を受けた時にはライティングセラピーというものがあると弁明や説明をしたけれど聞く耳を持たなかった。

どうして友人の同期がクソババアと言っていたのか今になってよくわかった。

2020年12月3日 日常
私は何も悪くない、みんなが悪いんだ

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