今でも時折、腹を立てているのは大切な友人が「不特定多数がみるブログに恥辱を晒している人の気持ちがわからない。そんなものはノートに書いた方がいい」といったことだ。いまだに腹を立てている。
それを聞いてからのブログはその言葉を気にしてしまい、生活に影響が出た。大きなコーピングの方法をもがれたかのように思う。片翼を抉り取られるが正しいかもしれない。またその言葉を受けた時にはライティングセラピーというものがあると弁明や説明をしたけれど聞く耳を持たなかった。

どうして友人の同期がクソババアと言っていたのか今になってよくわかった。
三宅さんに会いたいな なんか涙出てきた どうして一人で頑張ってるんだろう寄りかかりたいのに
大丈夫だ、君は本当に大丈夫だ1人で生きていける。
けれど1人で生きていくのは寂しいし役に立ちたい褒めてもらいたい君からしたら、大変窮屈だから君に眼差しを向けてくれて待ってくれる人と一緒に暮らしたらいい。

すごく幸せになると思う
カウンセリングを再開した
まずインテークを取ってもらったけど、アセスメント(情報収集)らしさは枠の中で最後の方になったのが印象的だった。まあ話したいことな多すぎて、ジェノグラムの作成は終わり間近で、端的に大変だったことを伝えられたのも最後だった。
あと自分が伝えたいことをまとめてなかったのが要因だけど、話すことをまとめておく大切さとカウンセラーの手続きの仕方を学んだと思う。

薬物療法を初めて1ヶ月が過ぎて2ヶ月目に入った。
前情報の薬の副作用の胃痛や吐き気は特になくて、体に合ってあるとおもう。それでも左前頭部がドライブしてる(張る)から自意識を意識しやすくなった、付随して意欲も湧いた。ただ、実行機能障害が"直る"わけでもなく、疲れや他のことに気が取られてると忘れてしまったり、ぼーっとして行動に移せないのはそのまま。ちょっとだけ行動に移せるようになっただけマシだろう。

精神科医・白川美也子さんの「トラウマのことがわかる本」を買って読んでみた。
本の題名のとおりトラウマについて簡素にそして充実した内容で分かりやすい本だった。そしてインテークの予約の前後ととってもらってから、すごく嫌だった記憶を思い出している。
やはり、今の僕がトラウマ的に思う最初の出来事の記憶は幼少期に鼠径ヘルニアで入院していたことから始まると思う。そして、その入院や医療に関係することによって、母親は3歳年上の姉から僕へと関心が移って、姉は淋しい思いをして僕をいじめ出す。それらが連綿として、また他の環境要因も加味して"生きにくさ"を醸造していったと僕は感じている。

わかるだろうか?術後の翌日にご飯の時間に病室にて看護師さんに隣で食べる人がいるからカーテンを閉められることと、その時のダブルバインドの言葉-意味を即座に理解して怒りと悲しみと、なぜ従わなきゃならないんだという気持ちをわかるだろうか?こどもが大人にならざるおえないその瞬間と求められた時の悲しみをわかるだろうか?
術後の夜に起きて、真っ暗な病室で暗くて誰もいなくて泣いたけど、泣いても誰もこないから泣いても仕方がないんだと思って心を殺した乾燥した気持ち、誰がわかってくれるのか?腹部を切って寝返りを打つのが大変なのにトイレに行けないから、尿便に移したくて看護師さん読んだら「1人でできるでしょ」と突っぱねられてしぶしぶ、惨めな思いして用を足した気持ちを誰が共感してくれるのか?

家で姉にちょっかい出されて、幼稚園では友達が少なくて悲しくて、小学校ではからかいの対象になって、家でも学校でも心安らかにいられる時間の少なさったらない!ふざけるな!!!!

メモより

2019年2月20日 僕、一人称

 「僕が僕であるために、いつまで戦い続けれなければならないのか」

尾崎豊は自分が誰のために存在して誰のために歌い続けたのだろうか。

 彼の曲たちをよく仕事を辞めて大学に入学した頃に聴いていた。ロードバイクで寒い土手を行き来するたびに。いまは、だんだんと彼や音楽を意識して聴くことから離れてしまっている。自然にそうなったと言えばそうかもしれないけれど、やはり自分は忙しすぎるのだ。つまり、無感動に生活している自分がいる。
 そうしたことを、頭の忙しさを「えいっと」時間を度外視して、時間を管理できているわけれではないけれど、芸術に触れるたびに感動をして無感動な生活にいたことに気づかされる。
 日曜日にムンク展に行ってきた。『叫び』で有名なムンクである。東京都美術館は30分待ちの大盛況で、会場は別だけれど昨年の怖い絵展に匹敵するほどの賑わいだった。ムンク自身がどんな人物だったのか、いま書き込んでいる今もあえて調べていないし知らない。どうやら精神障害を患っていた、統合失調症だったのではないかということが断片的に絵画の説明から分かるぐらいだ。「書き続けるために生涯独身を貫いた」とあった。
そんな人生ってあるのかなっておもった。けど、それって今の自分がそうじゃないかなと翻った。夢を叶えるために、孤独でもお金がなくてもそれでも構わないと犠牲を払い続けてきた自分に。・・・でも、孤独でなければ絵を描けない、孤独でなければ学問することができないってそれって正しいのかな?人は何かをなし遂げるために孤独が原動力になるのは、あるともう。けど、それをするための純粋な動機、理由すらいらないまなざし。生きるために必要な補償としての動機や生活のための芸術や学問にどんな価値があったのだろうか。

嗚咽して泣いた。
ねぇ、シェリー。僕はあれから自分が知りたい純粋な学問をできただろうか?
生きるためや人に認めてもらうためじゃない、自分にとっての学問・真理に近づけていただろうか。

卒業

2018年10月8日 僕、一人称
やっと卒業できた

卒業するのに3年もかかってしまった。
あれほど卒業を伸ばしたくないと思っていたのに、行動に移せなかった。
本当に辛かった。勉強の時間を確保するために仕事選びは制限されて、思うように働けなかった。それでいて勉強が捗ったかといえば、全然そうではなかった。いつものように疲労感から机の前には座れず、ベッドに横たわって焦燥しながら眠りについた。安堵という日はほぼなかったと言ってもいい。つくづく自分を知ったし、暗中模索のなかをよく歩いてこられたと思う。
自分の特性を把握するのに時間がかかったし、いまでも上手にいっているわけでもない。せっかく書いたやることリストなんて無意識のうちに見ないようにしているし、うまくいくような段取りがうまく機能しないなんてざらにある。失敗することをこんなにも恐れている自分がいることに愕然とする。
ちなみに、僕の友達ではいないともうけれど、この文章を読んでわたしを分析するような人は今後一切関わらない。分析したがりの人は目の前の人のことを見ていない。還元主義的な人の理解は害悪でしかない

話を戻して、でもやっと、やっっっっと本当に臨床心理士じゃないけど、援助職の切符を手にできたんだ!!環境調整のプロフェッショナルのPSWに、受験資格が得られたんだ。仕事は激務で社会的要請度は高い!けど、薄級で社会的認知度は低い。来年の国試に受かって30歳の新人さん。勉強が捗らないから、また再来年かもしれなくて、それは本当に苦しくって悲しくって、いつまで体を酷使し続けなきゃいけいのか不安で、辛くて。けど、勉強が捗らない。どんなに意思しようとしても上手に行かない。うわああああああああああああああああああああああああああああああf;shblゔぁふぃじょsdpfk@k]aovjplnjfk ,jnahfewhfoi:h/;viafslk



でもさでもさ、人間がちゃんと生きられるには生活環境を整えていくしかないんだ。強い意志を携えて行使し続ける。環境を整えていくのが現代人、いや社会生活を営む上で人に課せられた権利と義務なんだ。環境調整のプロフェッショナルなら.......!!!!!
あともうちょっとだ、がんばれ、がんばるんだ!

くもり

2018年10月6日 僕、一人称
ブログを書くことを無駄と思わないでいい。無駄と思うようになってしまったのは残念なことだし、ここは自由な空間なはず。

18.19歳の時に苦しかったことをブログ上で言葉遊びをしながら、強烈に言葉を叩きつけてたじゃないか。いいんだ、そうだ、いいんだよ…お前は怒っていいんだ。学習性無気力を、無意味感を咆哮することで払いのけていいんだ。

ワークブックの最初1-1をやってみて左側頭葉がフル活動した。もう自意識過剰の状態が正しい。というか、昔もいまも本当に嫌なのは姉が事あるごとに、自意識過剰自意識過剰自意識過剰って責め立ててくるのは頭にくる。あいつ大っ嫌い。

ざけんな
担当のカウンセラーが急病で面接を受けられなくてショックだった。
そろそろ相談室に出かけようも思った矢先に、電話があって「今日の今日ですみません、担当が体調不良になりまして」とあって、ぼくは呆然となった。事務員さんには「担当によろしくお伝えください」と次回の面接日を決めて電話を切った。いまの仕事先の休みの関係で月一しか面接を受けられない。仮病や予定があると言って、無理して休めるけれど…。


担当者の急病などを理由に面接がなくなることが初めてだったのと、大なり小なり面接が受けられないのは苦痛に思う。ちょっとカッコつけて昇華/消化すれば、自分が体験したこの苦痛と緊張感を自分が担当することになった人に味わせてはいけないと思った。心理職ではないけれど、予定している対話や面接の場面がなくなると、患者さんやクライアントにはよくないし。担当のぼく自身も気負ってしまうから。

…ちょっと、っていうけどけっこう哀しい。
この気持ちをワークブックにぶつけられたらいいな…。

 

2018年8月31日 僕、一人称
 
明日から自動車解体業に再び従事することになった。

 先月末、急遽仕事を辞めて17日の専門学校のレポート提出まで引きこもり生活をして、なんとか提出した。そして次は仕事を決めないと思い、てきとうに仕事の面接を受けたり応募したりした。
 そんな中に自動車解体業があって、その会社は組合にも入っているところで昔から景気が良くてガンガン、使用済み自動車を運んでいるのを見ていた。けっこう、景気が良くて自分のところに車が入ってこないものだから、「あそこの一人勝ち」だなんて専務はぼやいていた。ずっと同じ解体屋にいたから悪い会社だなんて勝手に思っていた。資本主義なのに。
 面接を受けに行けば「ああ、あそこのあんちゃんか」と驚かれて一発採用。
そもそも力仕事の面接で二次面接をしたことがないから、雰囲気が悪ければ不採用と決まっている。いや、面接の雰囲気が良すぎると不採用で電話がかかってこない。そういうこともあった。
 面接では休日を増やすようにしてみたけれど歯が立たなかった。けど、なんとか第2土曜日は確保できたから、これまで通りカウンセリングに通うことができる。週2回の予定が前職の社長によってメチャクチャにされたのが、つよく憤っている。あのくそチンピラ。一方で、土日祝でいいお金になる日給月給の水道・舗装屋さんの求人もあった。けど僕は疲れ果ててたから経験のある業種に戻ることにした。業種的に雨が降ると休みになって手取りが減ってしまうのも嫌だし。フルタイムで入れれば土日祝30万は美味しいけれど、秋雨と梅雨がある国。
 カウンセリングが週2から月1になったのは嫌だったけれど、もう疲れてて打算に打算を重ねるようなことを考えたくなかったから選んだ。なので来月3月までカウンセリング期間を設けてもらっているから、あと7回の面接の中で重たいものをおろして、なんだかよくわからない辛さを、手放さなきゃ、手放したい。ふと、スキーマ療法のことを思い出して三省堂書店まで足を運んで買ってきた。(悩んだ末に、スキーマ療法のワークブックを選んだ)
 あと7回ある面接を主体的に意味あるものにしたい。友達の勧めからのったカウンセリングだったけれど、誰の面接かといえば僕の面接だ。自分は自分のことを考えても良い場所なんだから。このなんだかわからない、わからないことがわからない生きにくさ、確かに刻まれているけれど忘却して過去に置いてきた傷つきを手放していいはず。


大狸教授ならなんていうだろうか?「一路白頭に至る」か?
いやいや、彼は僕じゃない。例えば時間的距離を置いて18歳の自分・彼が僕を見ていうんだったら「その生きにくさと傷つきを解体する」って青臭いことを云うと思うな。

「僕には作ることはできないかもしれない。けど適切に解体・除去することはできる」

二人称

2018年8月13日 僕、一人称
 あなたは無職で貯金もなくて恋人もいない。簡単なレポート作業だって多動症で1日がかりだ。日本という国で効率的に生きていくのに必要な時間の効率化を喪失する行為障害を持っている。あなたが思っている以上に行為障害は深刻で、読書などで得られたであろう経験や知識を障害によって得られない。

 けど、僕はあなたのことが好きだ。

 障害と呼べるものがなかった方がいいに決まっている。ただ同時にあなたを豊かにしたのは間違いない。すごく傷ついて気づきのおおい人生を歩んで来た。そうした痛みや寂しさを無害なものに変えて来た、むしろあなたの傷つきは、人知れずに人当たりの良さに昇華されていた。
 なぜか、あなたに初めてあった人の中にホッとした思いの人がいるはず。けれど、ひたすら痛みや孤独を肯定的に明るくしていくのは疲れるし、そして要請される世の中にあなたは怒ってる。また人の成長を安易に考えがちな大人たちにあなたは怒っていいと思います。その安易さに社会の方にも自分にも許せないんですよね?これまでの怒りを脱ぎ捨てて、堪えてきた時間の連続体としての自分たちを蔑ろにしていいのかって。

 僕は適切に怒ろうとするあなたが好きです。

「人が成長するには地獄をとおる必要がある」
 コトリーでスキーマ療法についてインタヴューを受けている伊藤先生の記事を読んで、力が抜けてしまったんだと思う。レポート作業の締切日が近づいてきて、なおかつ無収入の状態で精神的にはかつかつな状態。不安感は感じていないように思えるけれど、それを感じていたらレポート作業ができないから、自己防衛をしているといえる。
 僕は自己防衛っていう言い方は人間が弱い存在と規定している、自分が弱いと言ってる気がして好きじゃない。ただ、そういう状態なんだよって、中態動で指す言葉を僕が知らないから、自己防衛という言葉になってしまっている。 そもそも、自分は一定の状態を表すことが好きで、説明文が長くなってしまう。それに丁寧に、端折れないかららりるれろと長い。

 僕は自分自身の不甲斐なさをずっと感じていて、それらの原因は僕の内側にはなかった。不甲斐なさを感じさせる環境にあった。けれども、そうした環境にあって辛くて、傷つきを、生傷を癒す時間や癒し方がわからなくて、レジリエンスとして最強の"忘却"を知らずしらず実行していた。自身の特性を環境圧力が促進したのだ。(そうだそうだ、怒れ怒れ、自己反省は怒りを燃やし尽くしてからでもできる)

だから、このブログで傷付きを、怒りを、語り尽くしたいと思う。これについてごちゃごちゃいうのは絶対に許さない

遊びたい

2018年8月6日 僕、一人称
恋人ほしい
1日肉体労働をして精神集中を伴う作業はとてつもなく苦痛だけれど、8/17日までにレポートを提出すれば世界が変わるんだ。それは本当に世界が変わるんだ。

「Durch Lieden Freude」
苦労を通しての喜びに感情で色付けされた複合体を浄化するように1週間泣き続けてもいいんだ
高次機能機能障害とタイピングしがち
できることなら留学がしたい

とりあえず情報は集めておこう。そもそもお金や学力は足りてないのだから、どこが穴なのか調べてついてみよう。ここで実現が難しいっていってくる人は全員敵。
ひとつ心理学を学んで良かったことができた。

認知心理学のデザイン・人間工学だっただろうか、コップは飲み物を入れる形をしていて手で掴まれるようにできている。これを転回すると、人の手はコップに摑まされるようにできていると言い換えられる。またコップは手を拡張して液体を飲みやすい形状に変えてくれる。何が言いたいかといえば、コップは皮膚感覚の拡張である。

こんなことをぼんやりとそうだなとおもっていたら、1ヶ月前くらいに1日5冊読む多読家がさらさらと熱く語っていた。彼の経歴は優秀の一言。彼には言っていないし、そういった存在に出会ったことがないけれど、ギフテッドの類なのだろうと思っている。自分と比べ物にならない学問上の学びを彼は持っていて、遺憾無く話す。比較はおこがましい、清々しく感じる。
そんな彼と共通の情報を持っていたのは嬉しかった。彼であるがゆえであるし、ただ共通の話題を持てたこと自体が単純に面白かった。同じ小説を読んだかのような気持ちに。

あと、ある人から幼児性健忘と認知機能失調症は原理的に同じであることを教えてもらって、人間観とそれについての哲学に変化があったのは愉しい。心理学というものをやっていなかったら...ああ自分が心理学をやっていると言っても良いものかと疑問に思う。けれど、心理学という学びの場に行かなければ知りえなかったことだ。

「ああ、感嘆しきれない天上の星々と我が内なる道徳律」

カントがどう思ったか知らない。でもきっと、自分の宝物と世界にある星が共鳴して輝いたら、とっても楽しい。

暴露

2017年2月20日 僕、一人称
政治哲学者ハンナ・アーレントは人は社会で生活していく上で仮面をかぶっているのに仮面を剥ぎ取ろうとするのは馬鹿げてるといったことを語っている。

その前提で、わざわざ自分の過去を暴露して傷つき体験を再体験することに意味があるのかという疑問が残る。しかし、今後曲がりなりにも打ち立てた援助職に就きたいという気持ちを、僕は僕の主訴を受容して権利擁護をし、共に考えて歩いていきたい。

そのためには、自分を知っていくことが重要(自己覚知)で、いまの自分を理解することはこの先に自分という彼が困らないためでもあることから、ちょっと頑張って暴露をしていこうと思う。僕にとって生きていくのに必要だったかもしれない怒りや悲しみが価値を失うまで、新しく楽な生きていくのに必要な言葉を持てるまで、暴露し続けよう。

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