いのり (早朝の徘徊者)
2016年11月16日 エッセイまだ暗い冬の早朝
僕は青いトラックを走らせる。都内各所にある会社から廃棄物を回収するために。
トラックを運転していて話し相手はいない。独り言やひとりでラジオから流れてくる名曲に声を合わせたりと、言葉や音が寂しさをなだめる。
過去のあの時あの場所でと、過去の出来事を一巡させてから、わずかに得られるかもしれない体験を想像する。それはもう、トラックの中からでられないんじゃないかっていう諦めともしかしたらと思う希望の均衡。ううん、ちょうどなんてものは見つけられない。
そうしたとき、ふと気がついてわずかに顎を上げる。
暗い空が蒼へ、瑠璃色へと変わっていく。首をかしげると瑠璃色からオレンジ色へと移り変わっていく。この景色を見ている人は、世界にたくさんいるのかもしれない。けれど、ここにいるのは紛れもなく一人で、この空を求めているのは僕なんだ。ここにいる僕なんだ。
街を起こす光は僕のためだけに降り注いでいる。
そう思っても罰はもらわないですよね。
僕は青いトラックを走らせる。都内各所にある会社から廃棄物を回収するために。
トラックを運転していて話し相手はいない。独り言やひとりでラジオから流れてくる名曲に声を合わせたりと、言葉や音が寂しさをなだめる。
過去のあの時あの場所でと、過去の出来事を一巡させてから、わずかに得られるかもしれない体験を想像する。それはもう、トラックの中からでられないんじゃないかっていう諦めともしかしたらと思う希望の均衡。ううん、ちょうどなんてものは見つけられない。
そうしたとき、ふと気がついてわずかに顎を上げる。
暗い空が蒼へ、瑠璃色へと変わっていく。首をかしげると瑠璃色からオレンジ色へと移り変わっていく。この景色を見ている人は、世界にたくさんいるのかもしれない。けれど、ここにいるのは紛れもなく一人で、この空を求めているのは僕なんだ。ここにいる僕なんだ。
街を起こす光は僕のためだけに降り注いでいる。
そう思っても罰はもらわないですよね。
依存心が強いと人を助けたがる
2014年12月13日 エッセイhttp://youtu.be/Pjy68zUILow
自分も依存心が強いから人を助けたがる。
でも本質的に助けられないから、助けたがる情動をじっと抑える。
別の話だけど、他の人を排斥してまで自分を肯定してくれることがあって、それについて思うことがあって、自分を思ってなのか他の人を攻撃したいからなのか判断に困るけど、嬉しいね。ただ不思議な感覚。自然な感じ方をあの時代に取り戻せていたら、いま思い出す思い出は鮮やかで鮮烈で、きっと恥ずかしかったと思う。
ありがと
自分も依存心が強いから人を助けたがる。
でも本質的に助けられないから、助けたがる情動をじっと抑える。
別の話だけど、他の人を排斥してまで自分を肯定してくれることがあって、それについて思うことがあって、自分を思ってなのか他の人を攻撃したいからなのか判断に困るけど、嬉しいね。ただ不思議な感覚。自然な感じ方をあの時代に取り戻せていたら、いま思い出す思い出は鮮やかで鮮烈で、きっと恥ずかしかったと思う。
ありがと
一流と思う言葉(家族心理学)
2014年12月10日 エッセイ『(介入で)人が変わるのではない、語りが変わるのだ』
自分が変われないから、人は他人を変えようとしてしまいがち。けどおおよそ変わらない。でも、語ることがらを変えると歩く路が開けてくる。それはきっと人が変わったことと同義なんじゃないかと思っている。
上記の言葉は、いかにも社会心理学的(人は変わらない)視点をもって個人(臨床)心理(人間のたくましさ)を述べている事実だと思う。
おまけ
漫画ブラックジャックで綺麗な声を手術で失って耐え凌いだ女の子の話が好き
自分が変われないから、人は他人を変えようとしてしまいがち。けどおおよそ変わらない。でも、語ることがらを変えると歩く路が開けてくる。それはきっと人が変わったことと同義なんじゃないかと思っている。
上記の言葉は、いかにも社会心理学的(人は変わらない)視点をもって個人(臨床)心理(人間のたくましさ)を述べている事実だと思う。
おまけ
漫画ブラックジャックで綺麗な声を手術で失って耐え凌いだ女の子の話が好き
http://d.hatena.ne.jp/font-da/touch/20131211/1386736392#20131211fn4
セックスワーカーの支援とセックスワーク。
セックスワーカーは女性だけではない、男性も含まれている。
事情がある人とない人、プロ意識がある人ない人がセックスワークに従事している。
犯罪。暴力殺人をした人間は客ではなくて加害者。
セックスという言葉や単語や観念に触れると常識的な考えが吹き飛んでしまって非現実な考えになりやすい。これは一見非日常的な世界であると捉えてしまっていて、常識的に捉えてみれば、日常に起こっている話なのだ。僕はこの所に反省をしなければならない。差別と区別の前に話を拒絶してしまっていたことに。
つまり、僕は何も知らないから何も知らなくても良いはずという意識だ。
そんな世界は何処にも存在をしないというのに、知らなくても世界があることを僕は体験していかなくてはならない。
セックスワーカーの支援とセックスワーク。
セックスワーカーは女性だけではない、男性も含まれている。
事情がある人とない人、プロ意識がある人ない人がセックスワークに従事している。
犯罪。暴力殺人をした人間は客ではなくて加害者。
セックスという言葉や単語や観念に触れると常識的な考えが吹き飛んでしまって非現実な考えになりやすい。これは一見非日常的な世界であると捉えてしまっていて、常識的に捉えてみれば、日常に起こっている話なのだ。僕はこの所に反省をしなければならない。差別と区別の前に話を拒絶してしまっていたことに。
つまり、僕は何も知らないから何も知らなくても良いはずという意識だ。
そんな世界は何処にも存在をしないというのに、知らなくても世界があることを僕は体験していかなくてはならない。
軽度知的障害の女性たち
2013年12月10日 エッセイ コメント (2)http://www.nhk.or.jp/hearttv-blog/500/174748.html
性産業に搾取される。
これは難しい問題だ。なぜ難しいといえば人間の暴力性を支えているからだ。
性産業の有無の命題はいつの時代も行われてきたであろう問題であり、未だに決着がつかない問題である。しかし、構造はなかなか難解かもしれないが、その構造は利権である。つまり金だ。生きていくのに必要になってしまった金の話だ。だが、論点はここではない。
性産業から暴力性を排除出来るか否やである。
性は性でしかない。性衝動に伴う暴力性を限りなく0に排除できるかどうか。
命題の解決には動物行動学の知見が必要である。ボノボの同性愛など。
性産業に搾取される。
これは難しい問題だ。なぜ難しいといえば人間の暴力性を支えているからだ。
性産業の有無の命題はいつの時代も行われてきたであろう問題であり、未だに決着がつかない問題である。しかし、構造はなかなか難解かもしれないが、その構造は利権である。つまり金だ。生きていくのに必要になってしまった金の話だ。だが、論点はここではない。
性産業から暴力性を排除出来るか否やである。
性は性でしかない。性衝動に伴う暴力性を限りなく0に排除できるかどうか。
命題の解決には動物行動学の知見が必要である。ボノボの同性愛など。
ストレスの脳と精神への影響
2013年6月15日 エッセイreposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/handle/2298/3301
12歳の少年の症例を基に、摂食障害と愛着問題、機能不全家族(世代間連鎖)を扱った論文。
A少年は一貫した態度を母親から受けられずに育ち、弟と比べられ、自分の自己肯定感や有能感を持てずに生きてきた。母はころころと態度を変え、祖母は母親を馬鹿にして、自分が問題に乗り出さなければならないと張り切る。弟は兄に対して優しくて不安定な情緒になる。父親は我関せずで関わろうとしない。
重層な問題ではあるが母親の世代間連鎖から考えれば判り易いのではないだろうか。祖母は孫の問題に対して張り切るような姿がある。祖母は娘である母親を育てるときに、先回り教育やこどもに対して不条理な、大人のように振舞うように求めたのではないか。母親の不安定さは祖母の不安定さを学習した結果であり、A少年に愛着の不安定さが連鎖して学習されたと考えれば納得がいきやすい。母親は自身の不安や不安定さに一見理解をしてくれそうな夫、父親を選んだ。しかし、問題が起こったいまでは頼りにならない。
兄弟二人は辛い環境に立たされることになった。
A少年は病気によって周囲の親たちや自分を心配する人たちを、病気によってコントロールできることを学んでしていった。コントロールをしていった先に母親の愛情や安心感を得る為に行った作戦も、予想と反していた場合不安を呈した。
家族には歴史がある。家族を構成する人物の数だけ生育暦と事実を解釈した真実(歴史)がある。一つの家族をわかろうとするには家族を構成する人物の数だけ真実を聴かねばならない。事実ではなく真実である。真実の一つ一つを重ねていくと歴史が織られてくる。いわば物語りだ。援助専門家はストーリーを組み立てやすいし、組み立ててしまう。ドツボにはまらないように心がけたいものだ。
12歳の少年の症例を基に、摂食障害と愛着問題、機能不全家族(世代間連鎖)を扱った論文。
A少年は一貫した態度を母親から受けられずに育ち、弟と比べられ、自分の自己肯定感や有能感を持てずに生きてきた。母はころころと態度を変え、祖母は母親を馬鹿にして、自分が問題に乗り出さなければならないと張り切る。弟は兄に対して優しくて不安定な情緒になる。父親は我関せずで関わろうとしない。
重層な問題ではあるが母親の世代間連鎖から考えれば判り易いのではないだろうか。祖母は孫の問題に対して張り切るような姿がある。祖母は娘である母親を育てるときに、先回り教育やこどもに対して不条理な、大人のように振舞うように求めたのではないか。母親の不安定さは祖母の不安定さを学習した結果であり、A少年に愛着の不安定さが連鎖して学習されたと考えれば納得がいきやすい。母親は自身の不安や不安定さに一見理解をしてくれそうな夫、父親を選んだ。しかし、問題が起こったいまでは頼りにならない。
兄弟二人は辛い環境に立たされることになった。
A少年は病気によって周囲の親たちや自分を心配する人たちを、病気によってコントロールできることを学んでしていった。コントロールをしていった先に母親の愛情や安心感を得る為に行った作戦も、予想と反していた場合不安を呈した。
家族には歴史がある。家族を構成する人物の数だけ生育暦と事実を解釈した真実(歴史)がある。一つの家族をわかろうとするには家族を構成する人物の数だけ真実を聴かねばならない。事実ではなく真実である。真実の一つ一つを重ねていくと歴史が織られてくる。いわば物語りだ。援助専門家はストーリーを組み立てやすいし、組み立ててしまう。ドツボにはまらないように心がけたいものだ。
愛着障害から精神疾患と感情障害
2013年6月9日 エッセイhttp://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/901/1/KJ00002401085.pdf
生きづらさを感じている人。すべての人に読んでもらいたい論文です。
生きづらさを感じている人。すべての人に読んでもらいたい論文です。
人生に意味などない。人生に意味がないから人は意味や色や味を付けたがる。
現社会構造の中で生きるには社会構造に必要な能力を求められる。けれど、その構造から脱して生きられることを知らずして生きている人は多い。
社会構造への適応能力を高めて行くのが生きることではなく、自分が求める物に生きる。
自分が生かされていること。自分が人間であり社会的動物であると意識した時、素朴への回帰が始まる。ただ死ぬのに、あまりにも時間は長すぎる。達成したい目標がある人生は自分の時間を生きていない。まるで神になろうとしているかのようだ。
現社会構造の中で生きるには社会構造に必要な能力を求められる。けれど、その構造から脱して生きられることを知らずして生きている人は多い。
社会構造への適応能力を高めて行くのが生きることではなく、自分が求める物に生きる。
自分が生かされていること。自分が人間であり社会的動物であると意識した時、素朴への回帰が始まる。ただ死ぬのに、あまりにも時間は長すぎる。達成したい目標がある人生は自分の時間を生きていない。まるで神になろうとしているかのようだ。
http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=10&cad=rja&ved=0CHAQFjAJ&url=http%3A%2F%2Fresemom.jp%2Farticle%2F2012%2F08%2F22%2F9402.html&ei=kallUNfxJ_GPiAfDm4GQDQ&usg=AFQjCNFe0dEWZoz5ZHiIwM67CIo7OJDqKg
自己肯定感とは「自分は大切な存在だ」「自分はかけがえのない存在だ」と思える心の状態。
自己肯定感は自尊心とは違い、自分の中に流れる生きる力や源であり損得勘定は関係がない。自己肯定力と言い換えれば「自分がここで生きてよいと認められる力」であると主張する。
日本人の自己肯定感が参加国(上記URL参照)でぶっちぎりで低いことは、日本人の文化が個人の主張よりも複数や全体の人間が妥当するような意識決定がなされる。個人の主張は日本では殺されてしまい自己肯定感を得るのに大事な”自分の行動で現実が変わる”ことが得られないうえに、周囲の視線によって発言しようと思っている事柄の正当性を強く認識しなくてはならず言い出しにくい。自分の発言が”相手にとってあっているのか”である。実際には自分が信じたことを発言して主張をしていくものである。
自己肯定感とは「自分は大切な存在だ」「自分はかけがえのない存在だ」と思える心の状態。
自己肯定感は自尊心とは違い、自分の中に流れる生きる力や源であり損得勘定は関係がない。自己肯定力と言い換えれば「自分がここで生きてよいと認められる力」であると主張する。
日本人の自己肯定感が参加国(上記URL参照)でぶっちぎりで低いことは、日本人の文化が個人の主張よりも複数や全体の人間が妥当するような意識決定がなされる。個人の主張は日本では殺されてしまい自己肯定感を得るのに大事な”自分の行動で現実が変わる”ことが得られないうえに、周囲の視線によって発言しようと思っている事柄の正当性を強く認識しなくてはならず言い出しにくい。自分の発言が”相手にとってあっているのか”である。実際には自分が信じたことを発言して主張をしていくものである。
共に生きる。
この共に生きるの共にという言葉は人が一人で生きて行く事は難しく他者と共に生きることで目の前の問題や先の課題を打破することができて、
尚且つより良く人の良い面を活かしながら生きれる。
それには友愛の精神が必要不可欠である。
相手が居て自分がいる。そして自分の存在が相手にとってかけがいのないものになる。だが、これに至れる人は少ない。けれども決して至れない訳ではなくて、他者と対話をすること、これによって至れるのである。
あなたの望みはなんだ?私の望みはこうだ!対話がなくしてどうして他社の考えや精神が解り得ようか?対話がなくして現実の革命は起こり得ない。
この共に生きるの共にという言葉は人が一人で生きて行く事は難しく他者と共に生きることで目の前の問題や先の課題を打破することができて、
尚且つより良く人の良い面を活かしながら生きれる。
それには友愛の精神が必要不可欠である。
相手が居て自分がいる。そして自分の存在が相手にとってかけがいのないものになる。だが、これに至れる人は少ない。けれども決して至れない訳ではなくて、他者と対話をすること、これによって至れるのである。
あなたの望みはなんだ?私の望みはこうだ!対話がなくしてどうして他社の考えや精神が解り得ようか?対話がなくして現実の革命は起こり得ない。
なぜ売春はいけないのか
2011年7月20日 エッセイこの問題は古来から存在していると言われている。
売春は性処理をする為に存在する行為である。
なぜ売春はいけないのかといえば、性病の蔓延への危険性から種の保存を確保する為に禁止とされ、個人の人権の剥奪の阻止と擁護の観点から法律で禁止をされている。
この問題のポイントは3つだと意見をする。
1つ目は女性の保護。
2つ目は男性(基本的)の性処理
3つ目は性病の蔓延阻止
1つ目は男性の視点から女性を性処理のみの対象から外す事に由来し、いのちある存在を物の様に扱うのは人権や人格を無視している行為と言えるからである。
2つ目は男性の生理機能として少なくとも1週間に一度射精をして性的欲求を取り除く"作業"があり、その欲求から様々な行動の起爆剤となる。
3つ目は性病の蔓延によって人類の保存もしくは地域の保全のために阻止しなければならない規範があるのではないかと考える。
レビィ ストロースの財産交換から、女性や個人は財産だからあえて他の部族に大切なものを交換する事思い出した。逆にこの問題は交換をする事によって財産がただ浪費していくからいけないのではないかと意見する。
つまり、女性は財産だから大切にしましょうと。
しかし、流動性ある売春(経済活動)という行為はもしかしたら流動性は無いために、社会のためにならないのではないか。社会は流動的で流れを生まない存在を淘汰する傾向にある。
---------
疑問
先住民族の人々の間に売春はあるのかな?
集団が肥大化に連れて売春という行為が増えたのではないか?
これは中流階級に所属していたいという承認欲求から売春という経済活動が生まれたのではないか?
売春は性処理をする為に存在する行為である。
なぜ売春はいけないのかといえば、性病の蔓延への危険性から種の保存を確保する為に禁止とされ、個人の人権の剥奪の阻止と擁護の観点から法律で禁止をされている。
この問題のポイントは3つだと意見をする。
1つ目は女性の保護。
2つ目は男性(基本的)の性処理
3つ目は性病の蔓延阻止
1つ目は男性の視点から女性を性処理のみの対象から外す事に由来し、いのちある存在を物の様に扱うのは人権や人格を無視している行為と言えるからである。
2つ目は男性の生理機能として少なくとも1週間に一度射精をして性的欲求を取り除く"作業"があり、その欲求から様々な行動の起爆剤となる。
3つ目は性病の蔓延によって人類の保存もしくは地域の保全のために阻止しなければならない規範があるのではないかと考える。
レビィ ストロースの財産交換から、女性や個人は財産だからあえて他の部族に大切なものを交換する事思い出した。逆にこの問題は交換をする事によって財産がただ浪費していくからいけないのではないかと意見する。
つまり、女性は財産だから大切にしましょうと。
しかし、流動性ある売春(経済活動)という行為はもしかしたら流動性は無いために、社会のためにならないのではないか。社会は流動的で流れを生まない存在を淘汰する傾向にある。
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疑問
先住民族の人々の間に売春はあるのかな?
集団が肥大化に連れて売春という行為が増えたのではないか?
これは中流階級に所属していたいという承認欲求から売春という経済活動が生まれたのではないか?
恋愛と結婚は別物。と考えられる人はどれくらい居るのだろうか。
恋愛と結婚は別々に考えてみると、結婚を軸にして考えてみれば恋愛は共に生きていく人を見つける行為であり、結婚とは恋愛で見つけた人と一緒に生きていく事に他ならない。
また同一のように考えている人は、この見つけてから一緒に生きていく一連の流れ
から同一であると考えているのではないだろうか。同一である考え方は今すぐにでも棄てたほうが懸命であると主張する。
恋愛を軽く考えている人は自分の人生や命を軽んじていると意見する。
恋愛は取り返しの付くものの一部として。相手が交換が可能な存在であると認識している事に他ならない、このことは相手を物の様に扱っているのと同義であり、相手の存在を無視し道具的存在としてしか捉えていないからである。もっと言えば、自分自身の存在すら物のように扱っているといっても過言ではないのである。
恋愛で見つける相手が今後、自分が死ぬまで苦楽を共にして生きていく存在としてみた場合、相手の存在を軽視するような視点で見ないはずであり、真剣に自分に見合う存在を得ようと考えるはずだからだ。
また恋愛のときに感じていたときめきと言う感情は心理学において、一年ぐらいしか持たない。恋愛が楽しいというのは努力をしないでも脳がドーパミンという快感物質を生み出しているからである。では結婚ではんどうだろうか。
結婚では相手を喜ばそうという毎日の積み重ねや努力によって快楽物質が生まれてくる。ということは、結婚の幸せは努力の積み重ねによって実現が可能なのであり”受動的で独り善がりな”生活をしていてはいけないのである。
愛は愛する事であり、愛される事ではない。
愛によって幸せを感じる事が出来るのは愛する事が出来た人のみである。
愛とは不安が無い事である。
どんなに不安や悩みを抱えていても愛の暖かさたるやその全てを克服できる力を生み出すことが出来る。人が一番に恐れることは孤独と不安である。それを乗り越える事が出来る力が愛なのだ。
まず自分を愛せ。自身のナルシズムを解消できないものに他者を愛す事なぞ出来ない。
どんなに仲が良かろうと礼儀を欠いたヤツは許さない。
人と人との絆というのは、所有ではなくて関係だ。相手を大事にしなければ、自分を大事に出来ないし、相手からズタボロにされるのがオチだ。自分の家族や友人に恋人は"自分の"ではなく、自分と、と表した方が良い。
自分と、と表すと相手に対して敬意が出てくる。自分と恋人を例え友達に紹介する時に"僕と彼女は恋人同士"と丁寧な言葉になるからである。
また何かを所有しようとする者は対象に対して去勢を張っている。それを誰か自分以外の人間に所有されるのではないかと不安になるからだ。考えてみて欲しい。自分が持っている永く使っている物に対して、感謝の気持ちが芽生えてくる事を。それはその物に対して所有の対象ではなくなり、関係となるからである。
すなわち所有しようとするのは自身が不安定かつ不安を抱いているからに他ならない。
この記事は普遍的な考えであり、現代に生きる人に対して痛烈に批判する内容である!
人と人との絆というのは、所有ではなくて関係だ。相手を大事にしなければ、自分を大事に出来ないし、相手からズタボロにされるのがオチだ。自分の家族や友人に恋人は"自分の"ではなく、自分と、と表した方が良い。
自分と、と表すと相手に対して敬意が出てくる。自分と恋人を例え友達に紹介する時に"僕と彼女は恋人同士"と丁寧な言葉になるからである。
また何かを所有しようとする者は対象に対して去勢を張っている。それを誰か自分以外の人間に所有されるのではないかと不安になるからだ。考えてみて欲しい。自分が持っている永く使っている物に対して、感謝の気持ちが芽生えてくる事を。それはその物に対して所有の対象ではなくなり、関係となるからである。
すなわち所有しようとするのは自身が不安定かつ不安を抱いているからに他ならない。
この記事は普遍的な考えであり、現代に生きる人に対して痛烈に批判する内容である!
「性教育は一生涯続く教育である」
どんな性教育を受けたかによって人の人生の幸福殿大半が決まってしまうほどの教育である。どれだけ正しく、どれだけ公平でいて、経験を用いるかによって人の成長はよりよく発達していく。性教育は、学校だけで教えられるものではなくて家庭や地域社会の人々の3点によって支えられておりどの点も欠かしてはいけない重要な要因である。
性教育を考えるのに当たって考えなくてはならないのは3つの事である。
まずは社会的な性の役割。
次に個人がどんな人格になりたいのか。
親もしくは教育者の信念。
これら3つをポイントを置きつつ、個人をよりよい人生を送れるようにするのが性教育であり教育者である。
性教育を受ける人と行う人どちらにも”性”を扱う事に抵抗を示す人は少なくない。これは一つに性が恥かしいものと学習したからに他ならないと僕は考えている。余談だが、性を恥かしいものと考えるようになったのはキリスト教の教えであり、それが広まる前の明治当たりだっただろうか、日本では混浴が当たり前の世界で、現在でも裸で暮らしている少数部族では裸を恥かしいものと考えていないのに加え、日本のAV?を観て貰ったところ「人間の行いとは思えない」とまで話している。
つまり、人の感情の一部は学習によって構築されたものであり、それらを如何にカバーをしつつ性を教えられるかが教育者に求められる事である。
こどもが生まれる事象は善いとされて、創る行為は悪とされるのはいったいどうゆうことか。
どんな性教育を受けたかによって人の人生の幸福殿大半が決まってしまうほどの教育である。どれだけ正しく、どれだけ公平でいて、経験を用いるかによって人の成長はよりよく発達していく。性教育は、学校だけで教えられるものではなくて家庭や地域社会の人々の3点によって支えられておりどの点も欠かしてはいけない重要な要因である。
性教育を考えるのに当たって考えなくてはならないのは3つの事である。
まずは社会的な性の役割。
次に個人がどんな人格になりたいのか。
親もしくは教育者の信念。
これら3つをポイントを置きつつ、個人をよりよい人生を送れるようにするのが性教育であり教育者である。
性教育を受ける人と行う人どちらにも”性”を扱う事に抵抗を示す人は少なくない。これは一つに性が恥かしいものと学習したからに他ならないと僕は考えている。余談だが、性を恥かしいものと考えるようになったのはキリスト教の教えであり、それが広まる前の明治当たりだっただろうか、日本では混浴が当たり前の世界で、現在でも裸で暮らしている少数部族では裸を恥かしいものと考えていないのに加え、日本のAV?を観て貰ったところ「人間の行いとは思えない」とまで話している。
つまり、人の感情の一部は学習によって構築されたものであり、それらを如何にカバーをしつつ性を教えられるかが教育者に求められる事である。
こどもが生まれる事象は善いとされて、創る行為は悪とされるのはいったいどうゆうことか。
僕と付き合うとどうなるか?
2010年7月19日 エッセイ コメント (2)飽きる事のない人生が待っていると思うよ。
現実的な面、お金の面でとても苦労を掛けると思うんだ。
そのことは本当に御免なさい。我侭な僕で御免なさい。
でも、一心にキミの事を考えて、家族のことを忘れないよ。
女性は、奥さんであり母であり女である。
僕は特に奥さん、女という面をいつまでも愛するよ。
僕がキミを愛するから、キミはこどもを愛して欲しい。
子供が生まれた時に、もしかしたら僕はキミを母だと思うかもしれないね。
けど、どうか赦して欲しいな。それだけ男は、僕は女性に弱いんだ。
僕にお金は無い。有るのは気持ちと愛だけだ。
付き合うという事はなんだろうか?
2010年7月1日 エッセイ コメント (2)大学が始まって3ヶ月。
あちらこちらと、恋の話やカップルが出来たという話を当然のように耳にするようになった。僕が通う大学では高校のようにクラスがあって、保育科なら保育科のクラス。心理科なら心理科のクラスがそれぞれ1学年に3クラスある。
僕のクラスではカップルが複数居るようで、学校外に彼や彼女が居る人も居る。
他のクラスでも、同じような事が言えていて毎日一喜一憂する話が何処からともなく僕の耳に流れてくる。
そういった話やカップルが話してる光景を毎日見ていると本当に羨ましく思えてくる。でも実際に僕が思うように羨ましい事なのだろうか?
多分、僕が想い描いている光景を実践して実現しているカップルは大学内に居ないと思う。異性と付き合う気持ち、異性を好きになる気持ち求める気持ち。それらの根源は何処にあるのかなぁ?
ただ、人間の三大欲の性欲から来るものだけなんじゃないのかな?
人を求める気持ちの大元は性欲からだと思うけれど、どうして理性が有るのにその理性を行使して性欲をある程度コントロール出来ないのかな?
ただ只管、性欲から異性を求めるのではなくて相手を思う気持ちを持って、理性を働かせて異性の事を考えながら行動することが付き合うと言う事なんじゃないのかな。…どうして、自分の事しか考えられずに『自分を愛して』と恋人に求めて『自分から愛する』ことをしないで求めてしまうのかな。
自分がして貰いたい、遣ってもらいたい事を先に遣らないで求められるのかな?
買い物に例えるなら、お金を支払わずにブランド品をください と相手にいう事と同じだ。
人と付き合うという事は、『資格』が必要なんだと思う。
自分を律する事が出来た上に、他人や異性を思いやれる気持ちと技術 が有って初めて人と付き合える。恋愛 をする事が出来るのだと信じている。
人と付き合っていく恋愛という言葉は一生モノ。
だから、簡単に扱わないで下さい。
そして、命を賭けて下さい。
fin
あちらこちらと、恋の話やカップルが出来たという話を当然のように耳にするようになった。僕が通う大学では高校のようにクラスがあって、保育科なら保育科のクラス。心理科なら心理科のクラスがそれぞれ1学年に3クラスある。
僕のクラスではカップルが複数居るようで、学校外に彼や彼女が居る人も居る。
他のクラスでも、同じような事が言えていて毎日一喜一憂する話が何処からともなく僕の耳に流れてくる。
そういった話やカップルが話してる光景を毎日見ていると本当に羨ましく思えてくる。でも実際に僕が思うように羨ましい事なのだろうか?
多分、僕が想い描いている光景を実践して実現しているカップルは大学内に居ないと思う。異性と付き合う気持ち、異性を好きになる気持ち求める気持ち。それらの根源は何処にあるのかなぁ?
ただ、人間の三大欲の性欲から来るものだけなんじゃないのかな?
人を求める気持ちの大元は性欲からだと思うけれど、どうして理性が有るのにその理性を行使して性欲をある程度コントロール出来ないのかな?
ただ只管、性欲から異性を求めるのではなくて相手を思う気持ちを持って、理性を働かせて異性の事を考えながら行動することが付き合うと言う事なんじゃないのかな。…どうして、自分の事しか考えられずに『自分を愛して』と恋人に求めて『自分から愛する』ことをしないで求めてしまうのかな。
自分がして貰いたい、遣ってもらいたい事を先に遣らないで求められるのかな?
買い物に例えるなら、お金を支払わずにブランド品をください と相手にいう事と同じだ。
人と付き合うという事は、『資格』が必要なんだと思う。
自分を律する事が出来た上に、他人や異性を思いやれる気持ちと技術 が有って初めて人と付き合える。恋愛 をする事が出来るのだと信じている。
人と付き合っていく恋愛という言葉は一生モノ。
だから、簡単に扱わないで下さい。
そして、命を賭けて下さい。
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