2010 My Development
2010年12月7日 Developmentまず今年は辛い事、悲しい事、嬉しかった事、乗り越えた事がありました。
約7年間続けた仕事を辞めて、よい社長や昔気質の工場長のほか仕事上での仲間の方々と別れて、新聞奨学会に入って3週間泣きながら新聞を配って体を壊して辞めてから大学に入学をして。
体調が戻らぬまま大学生活に突入をして文化祭実行委員になって問題が起きて一個人が嫌いになって、学費を貯めるために色々思考をして働いて。
入ったり辞めたりを繰り返し。そしてその中で今まで働いていた会社の環境がどれほど良かったのかを知り、井戸の中の蛙を実感して涙をして。
大学のクラスでは今でも馴染めなくて苦しくて自律神経失調症になり。
一ヶ月休み、授業に追いつけないながらもクラス外の友達に小さな声を貰えて頑張れた。自分自身の神経症的AC的思考や感じ方を”独りで”色々と試して脱却が出来て、達成が出来た。
今年は苦しくて泣いて、嬉しくて感動して泣いた。
自分の心理的問題を殆ど独りで解消しなければならなかったことは本当に苦しかった。誰かに頼ることで解決が早く進んだかもしれない。
心療内科に行こうとさえ考えたし、別件の自律神経失調症で内科へ本当に行った。
長かった。本当に長かった。自分が編み出した感じ方に取り付かれて、自分でお払いをしなければならなかったことが苦しかった、孤独だった。
孤独の中、上手い具合に雨風をしのげる存在が現れたのが幸いだった。
幸いだった。同時に雨風を凌げる存在でしかなかった。
問題を独りで解決出来たの今年は何よりも自分の中で凄い年だ。
自分で物事を解決できる力があることを自分自身に証明を出来たからだ、自然と。
こうして欲しかったああして欲しかったと気付けた。今自分が何を求めているのか感じられるようになった。この感じ方を出来るようになった”僕”の逆境を乗り越える精神力は以前より正しい方向へ流れる。
だからもっと頑張れる。
・・・本当は頑張りたくない。誰かの為なんかに行きたくない。
前は誰かのために生きたかった、誰かが居なくてはならなかった。
今の僕は自分がしたいように生きて、誰かの為を想って行動をしたい。
僕は教師になりたい。小学校なり中学校なり、高校の教師に成りたい。
どの環境でも教師という仕事は大変面白い仕事で生きがいだと僕は考えている。
何故ならば、自分の思想なりエゴなりを表現できると思うからだ。
何よりも僕は教師になって根底から50年掛けて日本を変えたい。
次世代を担う子供たちや人材を統合的な育成を行えれば次世代の人間は我々の世代を必要なしに次の世代を育てる事が出来ると僕は信念を持っているからだ!
教師に成るには問題が山積している、教師になったあとは今の大学教授に成りたいと思っている。本当につくづく大変な人生だと僕は思う。
先日22歳の誕生日を迎えて、幼稚園の時や小学校就学前に観ていたテレビでの大学生のイメージは本当に楽そうに楽しそうにしていた。
けれども、実際の自分はとてもつもなく過酷な状況に身を投じて、何年も何十年も苛酷な状況や環境に身を置くと周囲に確約的契約をした。
遊んで暮らしたい、暮らしたかったと思うよ。
しかし、僕という存在には価値がある。
かけがいのない誇れる価値がある。将来的に必ずや必要になる人材である。
僕の魂は人を巻き込んで必ず良い方向へと導く魂である。僕にしか出来ないことがある。
・・・今年は本当に色々な事があった。
来年はもっと色々な事があると知っている。大学の再履修なり考え方だったり、人との巡り合いだったり。
僕は本当に稀代のDevelopreだよ(笑)
約7年間続けた仕事を辞めて、よい社長や昔気質の工場長のほか仕事上での仲間の方々と別れて、新聞奨学会に入って3週間泣きながら新聞を配って体を壊して辞めてから大学に入学をして。
体調が戻らぬまま大学生活に突入をして文化祭実行委員になって問題が起きて一個人が嫌いになって、学費を貯めるために色々思考をして働いて。
入ったり辞めたりを繰り返し。そしてその中で今まで働いていた会社の環境がどれほど良かったのかを知り、井戸の中の蛙を実感して涙をして。
大学のクラスでは今でも馴染めなくて苦しくて自律神経失調症になり。
一ヶ月休み、授業に追いつけないながらもクラス外の友達に小さな声を貰えて頑張れた。自分自身の神経症的AC的思考や感じ方を”独りで”色々と試して脱却が出来て、達成が出来た。
今年は苦しくて泣いて、嬉しくて感動して泣いた。
自分の心理的問題を殆ど独りで解消しなければならなかったことは本当に苦しかった。誰かに頼ることで解決が早く進んだかもしれない。
心療内科に行こうとさえ考えたし、別件の自律神経失調症で内科へ本当に行った。
長かった。本当に長かった。自分が編み出した感じ方に取り付かれて、自分でお払いをしなければならなかったことが苦しかった、孤独だった。
孤独の中、上手い具合に雨風をしのげる存在が現れたのが幸いだった。
幸いだった。同時に雨風を凌げる存在でしかなかった。
問題を独りで解決出来たの今年は何よりも自分の中で凄い年だ。
自分で物事を解決できる力があることを自分自身に証明を出来たからだ、自然と。
こうして欲しかったああして欲しかったと気付けた。今自分が何を求めているのか感じられるようになった。この感じ方を出来るようになった”僕”の逆境を乗り越える精神力は以前より正しい方向へ流れる。
だからもっと頑張れる。
・・・本当は頑張りたくない。誰かの為なんかに行きたくない。
前は誰かのために生きたかった、誰かが居なくてはならなかった。
今の僕は自分がしたいように生きて、誰かの為を想って行動をしたい。
僕は教師になりたい。小学校なり中学校なり、高校の教師に成りたい。
どの環境でも教師という仕事は大変面白い仕事で生きがいだと僕は考えている。
何故ならば、自分の思想なりエゴなりを表現できると思うからだ。
何よりも僕は教師になって根底から50年掛けて日本を変えたい。
次世代を担う子供たちや人材を統合的な育成を行えれば次世代の人間は我々の世代を必要なしに次の世代を育てる事が出来ると僕は信念を持っているからだ!
教師に成るには問題が山積している、教師になったあとは今の大学教授に成りたいと思っている。本当につくづく大変な人生だと僕は思う。
先日22歳の誕生日を迎えて、幼稚園の時や小学校就学前に観ていたテレビでの大学生のイメージは本当に楽そうに楽しそうにしていた。
けれども、実際の自分はとてもつもなく過酷な状況に身を投じて、何年も何十年も苛酷な状況や環境に身を置くと周囲に確約的契約をした。
遊んで暮らしたい、暮らしたかったと思うよ。
しかし、僕という存在には価値がある。
かけがいのない誇れる価値がある。将来的に必ずや必要になる人材である。
僕の魂は人を巻き込んで必ず良い方向へと導く魂である。僕にしか出来ないことがある。
・・・今年は本当に色々な事があった。
来年はもっと色々な事があると知っている。大学の再履修なり考え方だったり、人との巡り合いだったり。
僕は本当に稀代のDevelopreだよ(笑)
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