肌と肌の触れ合い。とても暖かく感じられる。
何故暖かく感じられるのだろうか。この事、根本を考える人は居ないだろう。

不安である時に人は何故SEXを求めるのか。
これは簡単に述べてしまえば自分自身の存在を確かめようとしている存在証明だ。

強烈なストレスによって不安になり、不安が続くと自分という存在は世界に求められているのだろうか、必要なのだろうかと人は感じてしまう。そうなると人は根源的欲求によって問題を解決しようと行動し始める。

少し考えて欲しい。
例えばSEXや肌と肌との触れ合いが出来る関係はどういった関係だろうか。

単純に考えて仲が良い関係ではないだろうか。
パーソナルエリアスペースの一番身近なエリアに居る人たちではないだろうか。
ならば自分という存在を良く知っていて、身近な人達を知っている関係ではなかろうか。

人は常に不安を抱いていると僕は考える。
何故ならば人は胎児から生まれて、生まれても尚一人で生きていく事は出来ずに養育者の胸の中。肌と肌との触れ合いによって成長をすることが可能になるからだと主張をする。

養育者の胸から、肌から離れた場合こどもは生きて行く事が出来ない。
一番身近な人達に甘えを言うのは生きて行く為である。

また、里親制度によって養育者の下に来た女の子の話として。
生みの親に甘えられなかった反動として里親に強烈に甘える。
この甘えはオムツが必要が無い年齢であるのにも拘らず、オムツを買って欲しいと要求し、また哺乳瓶でジュースを飲ませて欲しいという話である。

結果的にこの女の子は里親の愛によって欲求を解消し成長をしていった。



不安が解消されないのは人間として生きて行く事が出来ない。
毎日ストレスが掛かる生活では生きている心地がしない。

人は不安を解消し、生きて行く為に人を求めてSEXをする。
SEXは里親の女の子の話と同様に凄まじい欲求である。
普段気配りできる男が、可愛らしい女性が目の前で健常者から異常者に変るのである。それを受け止めて欲しい。異常であっても存在しても良いと言って貰いたいのである。受け止めて貰いたいのである。

受け止めて貰えなかったら人は、人間は死んでしまうのである。




       不安であるときに人は何故SEXを求めるのか。



人として、人間として生きて生きたいからだ。


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