「性教育は一生涯続く教育である」

どんな性教育を受けたかによって人の人生の幸福殿大半が決まってしまうほどの教育である。どれだけ正しく、どれだけ公平でいて、経験を用いるかによって人の成長はよりよく発達していく。性教育は、学校だけで教えられるものではなくて家庭や地域社会の人々の3点によって支えられておりどの点も欠かしてはいけない重要な要因である。

性教育を考えるのに当たって考えなくてはならないのは3つの事である。

まずは社会的な性の役割。
次に個人がどんな人格になりたいのか。
親もしくは教育者の信念。

これら3つをポイントを置きつつ、個人をよりよい人生を送れるようにするのが性教育であり教育者である。

性教育を受ける人と行う人どちらにも”性”を扱う事に抵抗を示す人は少なくない。これは一つに性が恥かしいものと学習したからに他ならないと僕は考えている。余談だが、性を恥かしいものと考えるようになったのはキリスト教の教えであり、それが広まる前の明治当たりだっただろうか、日本では混浴が当たり前の世界で、現在でも裸で暮らしている少数部族では裸を恥かしいものと考えていないのに加え、日本のAV?を観て貰ったところ「人間の行いとは思えない」とまで話している。

つまり、人の感情の一部は学習によって構築されたものであり、それらを如何にカバーをしつつ性を教えられるかが教育者に求められる事である。





こどもが生まれる事象は善いとされて、創る行為は悪とされるのはいったいどうゆうことか。

コメント

ろてん
ろてん
2011年5月7日1:35

自分を生み出し育てたものに嫌悪感を抱くのはなぜだろうと考えます。性にしろ教育にしろ・・・。ええおかしいです。
血というものは人間の危機感・不安感を煽りますし、「生物としての自分」を感じさせるものですから、『汚らわしく』思われて何かと女性は忌まれる対象になってしまうのではないかと。自分でもよくわかってます…。
なんでもっと『性』を大切にできないんでしょう。自問自答です。

締まりのないコメントで申し訳ないです。

saphir
2011年5月9日1:07

>自分を生み出し育てたものに嫌悪感を抱くのはなぜだろうと考えます

この一節はもしかしたら深いのかもしれない。