カウンセリングにおいての存在論
2011年6月25日 Gedanke自分の存在を感じられない人達がいる。その人達はなんらかの事情によって自分の存在感を自分によって認められない。
例えば親に愛されなかった人がいる。その人は自分の存在を親に認められなかった経緯で存在を感じられずに苦しむ。これはいわば自分に親の愛が溜まっていないからで、人は他社の愛を感じることによって自分を愛し、ナルシズムを克服して自身の存在感を認め、また他者を愛していける様になる。
ではカウンセリングにおいての存在論とは、存在を充足させることにつきる。他者からの存在だけではなく、自分が自身の存在感を認める事によって一部、いや根底の問題を解決する試みである。
自分の価値観や存在感が薄く無ければ、他者からの意見や価値観によって自分の価値観や存在感が薄くなる事は無い。ならば、存在を充足させる事によって例え問題が生じても悩む事は無い。
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僕は人の本質にしか興味が無い。
目の前の人物が元々有している力、本質がどの様な"それ"なのか知りたい。上っ面には目もくれない。
例えば親に愛されなかった人がいる。その人は自分の存在を親に認められなかった経緯で存在を感じられずに苦しむ。これはいわば自分に親の愛が溜まっていないからで、人は他社の愛を感じることによって自分を愛し、ナルシズムを克服して自身の存在感を認め、また他者を愛していける様になる。
ではカウンセリングにおいての存在論とは、存在を充足させることにつきる。他者からの存在だけではなく、自分が自身の存在感を認める事によって一部、いや根底の問題を解決する試みである。
自分の価値観や存在感が薄く無ければ、他者からの意見や価値観によって自分の価値観や存在感が薄くなる事は無い。ならば、存在を充足させる事によって例え問題が生じても悩む事は無い。
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僕は人の本質にしか興味が無い。
目の前の人物が元々有している力、本質がどの様な"それ"なのか知りたい。上っ面には目もくれない。
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