ich danken so

2011年8月7日 日常
将来の自分がとても素敵な人物になっていると日頃から思っていると、やはりそれにはそれ相応の努力や結果が必要なのかが見えてくる。

そして自分には何が足らなくて何が得意なのかが理解できる。

私は後衛で働いている時に自分を生き生きと活躍する事ができて、逆に責任が出てくる場面だと急に動けなくなってしまう。とても視野が狭くなってしまうし体もうまく動かない。

ではどうしたら良いか。
私は作業をしている時に別の作業のことを思い浮かべられない。これは解体屋さんに居た時から変わっていなくて、いつも行き当たりばったりの作業を繰り返してとても疲れた。今も同じてこの現状打破したら良いのか。それは次のことを考えながら作業を行うこと、これに尽きる。


ああ、小さい頃何度も次のことを考えながら行動をしなさいといわれた。それに対して、どうして今やっていることを邪魔するのかほんとうに分からなくて屈辱的だった。頑なに目の前の事がやりたくて耳を貸さなくなった。今でも思い出すのは姉にお前は次の事が考えられないと幼い時にいわれたことだ。好きにやりたいのに、なんで邪魔するのか、なんでこっちの気持ちを知らないのでそんなことが言えるのか不思議でならない。



僕が僕のために飛躍を遂げられるようにするには、この刻み込まれた意識を今一度想起して考えて打破して再構築しなければならない。それを行うことによって頭の中のゴミを取り除き思考しやすくする。そしてその作業自体が私生活や偉大な自分に繋がっていく。


僕は論理的思考が果てしなく弱い。付随して相手が判る感情表現が多分で来ていない。本当に悲しくて悲しくて悲しみにくれている。でも、論理的思考が破綻していても感情が生きているのなら論理的思考の再構築が可能な筈だと考える。

何故なら僕は哲学者アンドロジニーだからである。


コメント