近況

2011年9月18日 日常
九月に入ってから仕事がなくなって毎日のんびりと勉強をして本を読み、ロードバイクを走らせて食べたいものは食べている。

この生活は生まれて初めての経験だ。

定時制からずっと働きづめで休めた日はなかった。何度も何度もこの生活を望んで仕事や勉強を頑張ってきた。一ヶ月働かなくても生活ができる。これは日本では親元にいるからできる事だけど、大きな発見だと感じている。

どんなに頑張りを続けても休みは取れない。今回の大きな休みは勤めていた焼肉屋の店長が辞めるなら早く辞めて欲しいということから起因していて、あの人はとことんアホな人だと思っている。よくよく考えてみればあの人は何処か逃げ道を用意して会話をしていて傷つく事を恐れていた。

自分の前提を持ち出して会話を進める。この会話技法は相手からの反論を初めから制して会話を構築する自分が傷付かない方法で、相手を理解するための初歩的な会話技法でもあると主張する。最も、相手への理解を深める為に自身の経験してきた事柄を引き合いに出して信頼を勝ち取るものだと思っている。

彼は僕が仕事を辞めると言って最後まで自分の経験を展開して僕を馬鹿にして話を聞かなかった。この話を聞いている最中に普遍的に思った事は"経験は最高に正しいのか"直感は正しくないのか"という事だった。

僕はこのまま、この場所で働いていて面白みがないなと薄々想起しつつあった。それを決定付けたのは彼だが。この直感は正しいと思っている。無理に自分に合わない仕事をして何かを勝ち取れるのかどうか疑問だったからだ。体育会系の店長の指導にこの店と社会の構造を見た。上司は云う"俺の経験は正しい"と。

だが、彼の経験は彼の"法律"に昇華されていて、自身の法律を他者に押し付けてはいけないのだ。これは他者に好意で親切をしようとする事に似ているが違う。彼はまったく自分の経験はに溺れていたと捉える。

直感は莫大な経験から生み出される力であり、なかなか根付かない力である。けれども、直感は理性に問い合わせをすれば機能するものでもある。無意識にして置いた方が良いとを沢山、意識野に訴えかけられてそれを無視した結果何度も何度も失敗をしてきた。身体が心が精神が求めること無理に押さえつけては身体に悪い。

ならば、従った方が良いではないかと。
僕がいま現在持っている経験と文化では彼の文化と社会構造にとても合わない。ならばもっと研鑽を積むのと他の文化を知る事が必要であると考えた。人は差異によってしか経験が出来ないと言われている。自分はそれを実行したい。


しかし、この文章は君の経験でしかないと言われた時に変えようがないのも事実である。

























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