一年間が長いか、短いのか。それは当人でなければわからない。
その人物が長いと感じていたとしてその人物がどれくらいの時間の密度で今まで過ごしてきて長いと言うのと、薄っぺらくて早く過ぎて欲しくて長いと思ったのでは全然違う。

端から見れば、どちらなのか見当も付かない。

今年は僕にとってある程度の長さがあったと感じている。
去年の11月から2月末まで勤めたバイトの影響があって仕事を選ぶのにまた渋り、また変なバイト先を選んでしまったが為に8月末まで苦しむ事になった。苦しむ事になった要因は大学の学費を稼ぐために辞められなかったし、慎重に選ぶ時間が無かった。急遽春期の学費が払えない可能性が濃厚になり、父に連絡を取り父からお金を借りられたから学費の件は一旦は回避された。


だが、不器用な性格と焼肉屋の連日の遅番で勉強が出来る時間が崩壊し、簡単に取れる授業を睡眠不足によりトコトン落としまくり、夏休みの期間中、春の単位によって留年が確定してしまうためストレスが掛かった。初めて教授に自分の身の振り方について相談をした。希望が持てた。

大学の夏休みが明けて秋期に突入していったけれど、どうも力が入らなかったし体調もトコトン優れなかった。頭のキレ具合や冴え方は年間通して絶好調だったんだけど、色々な事柄から上手く活かせなかった。




今年頑張ってきた事はとにかく本を読んでみる事と体調管理と自分が心がけている事を大事にして方向性を決めていくことだった。逆に目標とした英語を扱えるようになるという目標は途中から忘れてしまったし、独語の語学勉強が習慣化しなかった。けど、独語は使わなくても毎日辞書を持ち歩いている。最近では教授と同じ、木村相良の独和辞書を買った。教授と同じくこの本を使って活きたいと意気込んでいて、青赤鉛筆も買った。

後輩と呼べる後輩が出来た。
後輩は何処となく冴えない青年だ。けれど、彼はきっとごくごく普通な心理士になるだろう。彼は僕と違って要領よく物事を進める事が出来るし、人当たりも悪くない。しかし、彼は僕のように新進気鋭のような鋭さを感じない。鋭さがないことが悪いのかといえば視点の違いだが、彼が心理士となりクライアントと自分自身と対峙した時にとてつもなく悩むだろう。それ以外なら彼に軍配が上がるのではないだろうか。

今年買った本を来年は読み進めよう。

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