子ども教育課程
2012年6月24日 Arbeit&Deutsch&Englishこどもと教育。この関係は人間が社会性を構築する上で切り離せない問題である。こどもを教育する事は人類の繁栄には欠かせない。
日本の教育制度と海外の教育制度を講義内のビデオや資料を通してみてきた。これで浮かび上がってきたのは教育者(養育者を含む)がこどもに対して社会で活躍できる事を願う事と社会が要請するこどもを教育する事だった。そして学力という問題に直面をする。
学力が何であるかと定義をすれば自分の力で生きていける力と定義する事ができるうえにこの学力にも色々な定義ができると考えられる。何故なら人はリベラレルアーツのみならず、感受性や判断力と交渉力がなくてはならないからである。言い換えれば人間力といえるだろう。そして日本の一般的な教育方法は社会が求めている人材と養育者が求めているこどもがまるでかけ離れていている。その典型として企業が求めている人材はとても抽象的なもので交渉力や判断力と実行力といったもので、学校で教えている事のリベラレルアーツでは両者が断絶されている状態にある。
この状況の中、長野県にある伊那市立伊那小学校の総合学習の時間の取り組みは凄い。何故ならば日本でフランスのフレネ教育やドイツのシュタイナー教育といった形に近い授業の形式を短い期間総合学習の時間で低学年の1年生から3年生の間集中的に行われるからである。高学年の4年生から6年生は低学年とは違い多くの総合学習の時間はないものの加害授業と体験を通しながら総合学習と隣接する時間割の授業と関わりを持って取り組んでいる。これは非常に良い取り組みだと考えられる。
前提としてこどもは自ら成長発達が出来る存在であるからだ。
伊那小学校に通わせている養育者はこどもの学力に対して高い割合において危機感を感じている。データとして伊那小学校の学力は平均に比べて4%低い為伊那小学校に通うこどもは親に塾に通わせている割合も高いのである。しかし、伊那小学校の卒業生が中学校に入ってからの平均学力は14%高い数値を示しており、これは総合学習の時間がこども達にとって知る事の楽しさ、学ぶ事勉強する事の楽しさを獲得したから高い学力を示している事が主張できる。教育心理学において外発的要因と内発的要因では、一つの問題を解くのに集中力が大きく違う事が出ているからだ。外発要因は飴や鞭といった要因で行動を強制するが、要因がなくなってしまえば強制する事はできない。それと打って変って内発的要因ではその要因を動機付ける事が難しいが一度同期付けを身につけてしまえば、外発要因がなくても行動をする。
つまり、伊那小学校の総合学習の時間は総じて内発的動機付けに時間が割かれていることが言える。ともすると、こどもにとってカリキュラムや時間割が必要なのかと思えてくる。伊那小学校の取り組みは総じて成功していると考えられる。小学校当時の平均学力は劣っているけれど中学校に入ってからの平均学力伸びが14%は凄まじいものがある。ならば、本当のリベラレルアーツとは伊那小学校のような自由教育を通しながら教えていくものであり、自然と社会や企業の妥当性に応じる人材が出てくると考えられるのではないか。
自分にこどもができた時、自分はこどもにどんな環境でどんな教育でどんな風に育って欲しいのかとても考える。考えている最中伊那小学校やフレネ教育と韓国の英才教育などを授業で知った。自分はこどもに体が健康で精神も明瞭に穏やかにただただ、普通に生きて欲しいと思いました。
ここで提出した
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7歳くらいまではとことん遊ばせながら体験を通して学ばせようと思った。
伊那小学校の卒業生の学力が上がっていることから。
日本の教育制度と海外の教育制度を講義内のビデオや資料を通してみてきた。これで浮かび上がってきたのは教育者(養育者を含む)がこどもに対して社会で活躍できる事を願う事と社会が要請するこどもを教育する事だった。そして学力という問題に直面をする。
学力が何であるかと定義をすれば自分の力で生きていける力と定義する事ができるうえにこの学力にも色々な定義ができると考えられる。何故なら人はリベラレルアーツのみならず、感受性や判断力と交渉力がなくてはならないからである。言い換えれば人間力といえるだろう。そして日本の一般的な教育方法は社会が求めている人材と養育者が求めているこどもがまるでかけ離れていている。その典型として企業が求めている人材はとても抽象的なもので交渉力や判断力と実行力といったもので、学校で教えている事のリベラレルアーツでは両者が断絶されている状態にある。
この状況の中、長野県にある伊那市立伊那小学校の総合学習の時間の取り組みは凄い。何故ならば日本でフランスのフレネ教育やドイツのシュタイナー教育といった形に近い授業の形式を短い期間総合学習の時間で低学年の1年生から3年生の間集中的に行われるからである。高学年の4年生から6年生は低学年とは違い多くの総合学習の時間はないものの加害授業と体験を通しながら総合学習と隣接する時間割の授業と関わりを持って取り組んでいる。これは非常に良い取り組みだと考えられる。
前提としてこどもは自ら成長発達が出来る存在であるからだ。
伊那小学校に通わせている養育者はこどもの学力に対して高い割合において危機感を感じている。データとして伊那小学校の学力は平均に比べて4%低い為伊那小学校に通うこどもは親に塾に通わせている割合も高いのである。しかし、伊那小学校の卒業生が中学校に入ってからの平均学力は14%高い数値を示しており、これは総合学習の時間がこども達にとって知る事の楽しさ、学ぶ事勉強する事の楽しさを獲得したから高い学力を示している事が主張できる。教育心理学において外発的要因と内発的要因では、一つの問題を解くのに集中力が大きく違う事が出ているからだ。外発要因は飴や鞭といった要因で行動を強制するが、要因がなくなってしまえば強制する事はできない。それと打って変って内発的要因ではその要因を動機付ける事が難しいが一度同期付けを身につけてしまえば、外発要因がなくても行動をする。
つまり、伊那小学校の総合学習の時間は総じて内発的動機付けに時間が割かれていることが言える。ともすると、こどもにとってカリキュラムや時間割が必要なのかと思えてくる。伊那小学校の取り組みは総じて成功していると考えられる。小学校当時の平均学力は劣っているけれど中学校に入ってからの平均学力伸びが14%は凄まじいものがある。ならば、本当のリベラレルアーツとは伊那小学校のような自由教育を通しながら教えていくものであり、自然と社会や企業の妥当性に応じる人材が出てくると考えられるのではないか。
自分にこどもができた時、自分はこどもにどんな環境でどんな教育でどんな風に育って欲しいのかとても考える。考えている最中伊那小学校やフレネ教育と韓国の英才教育などを授業で知った。自分はこどもに体が健康で精神も明瞭に穏やかにただただ、普通に生きて欲しいと思いました。
ここで提出した
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7歳くらいまではとことん遊ばせながら体験を通して学ばせようと思った。
伊那小学校の卒業生の学力が上がっていることから。
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