他者に語るとき己に語りかけている
2012年11月19日 ノータイトル人が口癖のように誰かに語りかける言葉というのはその人物が自分に足りないものと感じているものである。何度も口にしていなければ忘れてしまうことだから忘れないように何度も自分に語るのである。これは、発達障害の人が今起きたことを忘れないように何度も声に出して記憶に留めようとする努力と似ている。
心理的に成長を損なった僕はどこか本気に怒れない。怨嗟が心の中で渦巻きや嵐が起こっていても強烈な怒りを面に出すことを恐れる。外に出すことができないから内側へと向かって息苦しくなったり切なくなったりする。切なさとは本来外へ出るはずだった怒りがうちへと向かうから生起する感情である。僕は兄姉から徹底的に人に手を出すなとか立場を考えろだとか大人であることを求められた。ダメだ馬鹿だ、するなとか褒められた験しがない。
今思えば玩具にされていたのだと解釈ができる。が、認めたくない抵抗感がある。どうにもこうにも、この抵抗感を考えるときにこのひとつの体験だけが問題を解決する糸口ではないと感じて開くことを躊躇う。と同時に、世代間連鎖の概念が頭をよぎる。一体全体、両親の一族は何を抱えていたのだろうかと。
思い違いであるならば、思い違いでよい。いま何も無いと思っているのは、知覚するのに必要な概念が無いからだろう。だとしたら、僕は物凄いことに手をつけようとしているのか。
心理的に成長を損なった僕はどこか本気に怒れない。怨嗟が心の中で渦巻きや嵐が起こっていても強烈な怒りを面に出すことを恐れる。外に出すことができないから内側へと向かって息苦しくなったり切なくなったりする。切なさとは本来外へ出るはずだった怒りがうちへと向かうから生起する感情である。僕は兄姉から徹底的に人に手を出すなとか立場を考えろだとか大人であることを求められた。ダメだ馬鹿だ、するなとか褒められた験しがない。
今思えば玩具にされていたのだと解釈ができる。が、認めたくない抵抗感がある。どうにもこうにも、この抵抗感を考えるときにこのひとつの体験だけが問題を解決する糸口ではないと感じて開くことを躊躇う。と同時に、世代間連鎖の概念が頭をよぎる。一体全体、両親の一族は何を抱えていたのだろうかと。
思い違いであるならば、思い違いでよい。いま何も無いと思っているのは、知覚するのに必要な概念が無いからだろう。だとしたら、僕は物凄いことに手をつけようとしているのか。
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