アンビバレント
2013年3月22日 Development コメント (2)今夜。今年の春にNYへと旅立つ彼と彼女と雑談を交わしてきた。
この雑談を一言で感想を述べるならば”悔しい”の言葉に尽きる。
彼は大学を中退してからすぐさまに自分のやりたいことを見つけてその事についてがんばって来た。その成果として留学に漕ぎ着けたのである。なぜ悔しいかと言えば、自分との対比を表したら留学は大変なことはあるだろうが華々しくて。一方、勤労学生の僕は華々しさもないひたすら努力をし続けて泥臭い。彼と話しながら彼の発言に対して自分の態度と言うのが批判的で厭世主義でいて、自分の引き出しから持ってきた言葉のに彼に対して自信がないから強く見せようと言葉を鋭くした。自分はこの態度を話しながら気づいていたのだが、どうにも止められなかった。だが”病めたい”と思っていたのだ。
華々しく留学する彼にうらやましさを持つのは当然だから、恨めしく思うことはしないし、思ったところで自分の境遇が変わる訳ではないのだから素直に留学できる彼に対して、8冊ほどの本と祝い酒として日本酒を祝いに贈った。
最早、この文章すら纏める勇気さえない。自分は落ちぶれてはいないのに輝かしいものを触れてしまったがために溶けてしまいそうな心持で、どうも今読んでいる太宰治の”奇が触れて”しまったのだろうと自己分析をするのだが、ただ、ただ、ただ只管に、僕の中で本の記憶や思想は息づいていることは確かで、確かと証明するものはないのだけれど確かだと思いたいと言う一心で確かだと述べる。僕は何一つ間違ってはいないのだ。間違いではないのではないのは、自分を成長させるのは先生だとか教授だとかメンターだとかそういった部類の人間たちではなくて、紛れもなく自分を成長させることが出来るのは自分のみであることを痛感するし、勿論のごとくメンターと呼ばれる人間たちに自分を成長させるにはどうしたらよいのかとお伺いを立ててみたいのも事実なのである。立てたくて立てたくてどうしようもない現実が目の前に横たわっているのである。けれども、ないものは仕方がない。だからこそ、自分は自分で自分を成長させるのである。無い者に縋って生きるより「我思う故に我あり」と自らの実存を見出して、自らの実存哲学を打ち立てるのである。
一つの事実や情報から三つの解釈と三倍の思索に広げるのがsaphirという人物である。少ない資源から骨まで残さず骨の髄駅と骨髄まで残さず栄養にするのが私である。
この雑談を一言で感想を述べるならば”悔しい”の言葉に尽きる。
彼は大学を中退してからすぐさまに自分のやりたいことを見つけてその事についてがんばって来た。その成果として留学に漕ぎ着けたのである。なぜ悔しいかと言えば、自分との対比を表したら留学は大変なことはあるだろうが華々しくて。一方、勤労学生の僕は華々しさもないひたすら努力をし続けて泥臭い。彼と話しながら彼の発言に対して自分の態度と言うのが批判的で厭世主義でいて、自分の引き出しから持ってきた言葉のに彼に対して自信がないから強く見せようと言葉を鋭くした。自分はこの態度を話しながら気づいていたのだが、どうにも止められなかった。だが”病めたい”と思っていたのだ。
華々しく留学する彼にうらやましさを持つのは当然だから、恨めしく思うことはしないし、思ったところで自分の境遇が変わる訳ではないのだから素直に留学できる彼に対して、8冊ほどの本と祝い酒として日本酒を祝いに贈った。
最早、この文章すら纏める勇気さえない。自分は落ちぶれてはいないのに輝かしいものを触れてしまったがために溶けてしまいそうな心持で、どうも今読んでいる太宰治の”奇が触れて”しまったのだろうと自己分析をするのだが、ただ、ただ、ただ只管に、僕の中で本の記憶や思想は息づいていることは確かで、確かと証明するものはないのだけれど確かだと思いたいと言う一心で確かだと述べる。僕は何一つ間違ってはいないのだ。間違いではないのではないのは、自分を成長させるのは先生だとか教授だとかメンターだとかそういった部類の人間たちではなくて、紛れもなく自分を成長させることが出来るのは自分のみであることを痛感するし、勿論のごとくメンターと呼ばれる人間たちに自分を成長させるにはどうしたらよいのかとお伺いを立ててみたいのも事実なのである。立てたくて立てたくてどうしようもない現実が目の前に横たわっているのである。けれども、ないものは仕方がない。だからこそ、自分は自分で自分を成長させるのである。無い者に縋って生きるより「我思う故に我あり」と自らの実存を見出して、自らの実存哲学を打ち立てるのである。
一つの事実や情報から三つの解釈と三倍の思索に広げるのがsaphirという人物である。少ない資源から骨まで残さず骨の髄駅と骨髄まで残さず栄養にするのが私である。
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