母子分離
2013年5月22日 Developmentまるで母子分離を疑似体験したような感覚に陥った。彼女との関係性のなかでだ。
彼女とであって3年半ぐらいになるこの頃。不安とストレスの嵐の中を生きてきた彼女と出会い、僕は彼女を支え抱えて生きてきた。彼女が元気なときは”共に”元気がないときは、父のように兄のように恋人でカウンセラーのように徹底的に向き合ってきた。
それが今日、父兄の役割を表に出すことがなくなった。ただ誤解が無きように僕は彼女と接しているときは一貫して僕という一人称であった。父兄という概念を考えなくても良くなったということである。
一冊の本。愛着障害という新書を読んで彼女は僕が想像するよりも遙かな衝撃体験をしたようだ。(時系列は曖昧だが)ここから様々な出会いや会話によって3年半前より、とてつもなく遙かに逞しくなった。病気で体力を損なっているけれど、精神的な心理的なあるいは情緒的な豊かさは、もしかしたら僕を超えるのかもしれないと僕に感じさせている。
彼女は感受性がずば抜けて高い。だから微々たる喜びも苦しみも、”からだ”を貫くほどであるし、底抜けに明るい性格。僕は彼女に教えられたのだ。感情というものを。
彼女は”生き抜いてきた”。彼女の精神の強靭さに教えられた。彼女の強靭さにただただ安堵するばかりである。
彼女とであって3年半ぐらいになるこの頃。不安とストレスの嵐の中を生きてきた彼女と出会い、僕は彼女を支え抱えて生きてきた。彼女が元気なときは”共に”元気がないときは、父のように兄のように恋人でカウンセラーのように徹底的に向き合ってきた。
それが今日、父兄の役割を表に出すことがなくなった。ただ誤解が無きように僕は彼女と接しているときは一貫して僕という一人称であった。父兄という概念を考えなくても良くなったということである。
一冊の本。愛着障害という新書を読んで彼女は僕が想像するよりも遙かな衝撃体験をしたようだ。(時系列は曖昧だが)ここから様々な出会いや会話によって3年半前より、とてつもなく遙かに逞しくなった。病気で体力を損なっているけれど、精神的な心理的なあるいは情緒的な豊かさは、もしかしたら僕を超えるのかもしれないと僕に感じさせている。
彼女は感受性がずば抜けて高い。だから微々たる喜びも苦しみも、”からだ”を貫くほどであるし、底抜けに明るい性格。僕は彼女に教えられたのだ。感情というものを。
彼女は”生き抜いてきた”。彼女の精神の強靭さに教えられた。彼女の強靭さにただただ安堵するばかりである。
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