心理学に興味が湧いて10年になる。中学生の頃、様々な理由から雑学の心理学を買っては読んでいた。読んだ本の数は多くは無かったけれど、勉強は苦手で机に向かえない僕にとって、心理学という雑学を得ることは、少なからず自己肯定感や優越感に浸れた瞬間だった。クラスメイトや友達は一生懸命部活や勉強に打ち込んで自分を作って肯定感を作っていた。
心理学という学問に触れたのは大学に入ってからだった。
その前は加藤諦三氏や自己啓発書を気になって読んでいた。悩みとは愛とは楽に生きるにはどうしたらよいかと、情緒的な面をどこか行き辛さと苦しさを感じていた。生育歴や兄弟関係を考えたから、心理学を学ぶ下地は19歳頃からか出来てたと思う。
とてつもなく、どうしてだかわからない不安や恐怖。起きているときに、自分が興味があることや集中しているとき以外は感じていた。何故だかわからないけれど、不安や恐怖に対して意味づけをしなければ一日を、その瞬間瞬間を凌ぐ事が出来なかった。別の話として大学に入ったときから逆境が続いて辛い日々で、辛さに対しての意味づけをずっと考えていた。ある種、自己不安を直視しないで済んでいたとは現在の弁だ。
今でも不安や恐怖は何気ないことで喚起して、疲れる。けれど、僕は心理学を入り口として脳科学や人生や動物や言葉を知って使って、不安を取り除く努力をしてきた。その甲斐があって、19歳の頃よりも遙かに心穏やかに過ごせている。1年。1年ごとに楽になっていってる。
自分のことを馬鹿にしたり卑下したり、おかしいとか卑屈になることを僕は止めたんだ。こうゆう情緒はあって当たり前だけれど、自分にとって重要な問題から五感を背けることになるからしないんだ。
心理学という学問に触れたのは大学に入ってからだった。
その前は加藤諦三氏や自己啓発書を気になって読んでいた。悩みとは愛とは楽に生きるにはどうしたらよいかと、情緒的な面をどこか行き辛さと苦しさを感じていた。生育歴や兄弟関係を考えたから、心理学を学ぶ下地は19歳頃からか出来てたと思う。
とてつもなく、どうしてだかわからない不安や恐怖。起きているときに、自分が興味があることや集中しているとき以外は感じていた。何故だかわからないけれど、不安や恐怖に対して意味づけをしなければ一日を、その瞬間瞬間を凌ぐ事が出来なかった。別の話として大学に入ったときから逆境が続いて辛い日々で、辛さに対しての意味づけをずっと考えていた。ある種、自己不安を直視しないで済んでいたとは現在の弁だ。
今でも不安や恐怖は何気ないことで喚起して、疲れる。けれど、僕は心理学を入り口として脳科学や人生や動物や言葉を知って使って、不安を取り除く努力をしてきた。その甲斐があって、19歳の頃よりも遙かに心穏やかに過ごせている。1年。1年ごとに楽になっていってる。
自分のことを馬鹿にしたり卑下したり、おかしいとか卑屈になることを僕は止めたんだ。こうゆう情緒はあって当たり前だけれど、自分にとって重要な問題から五感を背けることになるからしないんだ。
コメント
どの立場の心理学に一番興味がおありですか。
私は結構長いことユングです。
でもフロイトもアドラーも結構面白いと思います。
深く人物の歴史や概念を読み込んでませんけれど、生い立ちや生き方から。三人からでしたらアドラーが近いと思います。強い劣等感から乗り越えようとする試み。社会を変えてみようとする強烈さは、強い興味を僕は示します。
フロイトは人間の意識をぶった切って、ユングは無意識や意識からなる精神世界深めて、アドラーは心理学と身体を使って、現実世界に心理学を広めた。
僕は3つの巨星の強靭な精神力に畏敬の念を感じられずにはいられない。
アドラーですか。納得できます。
心理学の三大巨星、私も凄いと思います。
コメント欄への書き込みは嬉しく思います。