人は成長と退行を繰り返していく存在である。

よりよく成長しようとする時と欲求不満を満たそうとする退行する時期がある。人はこの時期に成長しようとする意志と退行する意志に苦しみ、闘わなければならない。成長をするのか退行をするのか、選ばなければならない。中庸という正義は登場しない。我々は選ばなければならない。己が生きる態度を。

自分以外の他者に対して啓発をして何になる。彼らは社会は一個の人間が変革しようにも手に負えない現実世界だ。啓発は無意味ではないのか。本当に啓発をして変えたいものは己ではないのか。自分はこんなにも苦しくて辛いから社会を変えてやろうという復讐ではないのか。何故、自分の苦しみを自分で救ってやらないのだ。成長と退行を満たしてやらないのか。

コメント

きんぐ侍
2013年11月11日0:44

結局は自分を変えていかなければならないという事はその通りだと思います。
しかし社会は一個の個人の集合体ということも出来ます。
わずかな一声であっても、例えば「ゴミのポイ捨てやめましょう」とか、
発信することで社会が変わることを願うことは
社会のせいにした復讐ではありません。
他者に対して啓発は無意味ではないと私としては思います。
個人一人ひとりが声を掛け合うことによって、
互いに自分を高める要素を得て変わっていく。
そしてよりよい社会を次の世代へ残すことが
親の、先行くものの務めと信じています。

saphir
2013年11月12日22:53

ロスG氏

僕が誰に書いたのか分からない文章を自分のことのように解釈をした人として意識が高い人としてお見受けします。なら、氏に問いましょう。朝起きてから会社に着くまでに何人の人と挨拶をしましたか。

きんぐ侍
2013年11月13日3:40

毎朝少なくとも50人以上は挨拶します。

saphir
2013年11月15日12:05

50人。この数字にはなかなか種がありそうだ。