僕は努力を褒められた経験が少ない。才能やセンスを褒められることが多かった。
大勢多数と違った視点と解釈の仕方。これは才能なのかもしれない。

けれど、これは僕が僕自身が懸命に努力して積み重ねてきたものだ。
他者に頼ることが出来なかった僕は、常識と間違っていても自分の頭で考えてきた。悩みぬいてきた。けど、頑張ることの意味が分からない。これは努力して達成や満足を十分に得られなかったからだろう。

じゃあなんだ。得られなかったからといって、ここで諦めるのか。

いいや、そうじゃないだろう。こんなにも苦悩して、頭が重くて胸苦しい日々を送っているのは絶対に諦めたくないからじゃないか。そうに違いないと決め込めないのは何故か!それは安全に生きようとしている恐れではないか!このまま進んでも快楽が得られないという不安ではないか!

やる気根気不安が増して起きられなくてもいい。しかし、決して忘れてはならないのは自分に挑むことだ。自分という大きな巨人を征服するか共闘をして、初めて明日を戦っていけるのではないのか。己の夢への動機付けは限りなく低い。


けれど、忘れてはならない。この夢こそ、あなたの命を救ったのだ!!

コメント

nophoto
クロノ
2014年2月18日23:56

他人に認められる為の努力だけが、努力ではありませんよね。

自分自身と対等に、持てる力で飾らず生きてたいです♪

ぼくはまだまだですが…

saphir
2014年2月19日15:57

クロノ氏

下文を取り払って言い切ってしまえばいいのに。
言い切ることが困難であれば、"まだですが…"の余韻のあとに、それでもそれでもそれでもと自分は努めていく。こう書いたらかっこいい!

自分自身と対等に、ということは僕にはまだ難しい。
けれど、僕は努めて苛烈に同等に、己と手を取り合い共に生きています。

情熱をありがとうクロノ氏。