正論は然るべき時に然るべき相手に、最も慎重に倫理的に使わなければならない。
正論の性質上、言った方は快楽や愉悦に浸れるが、言われた方は発言を禁じられてしまい、圧倒され。破滅に陥る。しかも、言われた方が自分で言って生み出した正論を言われたら悶絶するしかない。加えて自己嫌悪や体調不良に陥っていて何にも考えたくない、何も感じたくない。構わないでくれと思っている時に言われようものなら尚更である。

こういうテコでも動かない人には力を加えないで、元気になるまで穏やかに見守ることが大事である。無理に動かそうものなら、窮鼠猫を噛むではないが痛手を味わうだろう。傷を癒すことができるのは傷を持った人だけで、周囲の人は傷を癒すのに必要な環境や計らいをするのみである。決して傷を癒してやろうとは考えないことだ。傲慢の極み。

コメント

TAWAMI
2014年3月9日18:27

saphirさん、はじめまして。CUCKOOと申します。
以前からよく訪れて読ませていただいていました。
どうぞよろしくお願いいたします。

今日の記事、タイムリーというか、ちょうど正論を言われたわたし自身が感じた思いをとても的確に表していらっしゃるのが胸に響いて、思わずコメントしたくなりました。
わたしがお礼を言うのもおかしいかもしれませんが、お礼を言いたい気持ちです。
書いてくださってありがとうございます。

後半の文章も、頭では解っていても実際にそう行動できるかと言われれば、難しく感じることもあります。
忍耐と思い遣り、でしょうか。わたしにはまだまだ足りないものばかりです。

saphir
2014年3月9日22:39

CUCKOOさん。
コメントありがとうございます。
何か当ブログに書かれてあることで興味が湧いたのでしょうね。

本題の正論ですが、これはとても倫理的に慎重に扱わなければならないと思いっております。私は正論ばかり言われ続けてきて、窮屈な思いをしてきて。自分の頭の中も正論で満ちていて、とっても生きにくいと感じています。その正論、言い換えれば強過ぎる規範をどうにかしたいと思って書きました。

後半の話は前半のものより、質こそ違え。なかなかの歯応えがある構造ですな