父性愛と母性愛
2014年8月16日 Development昨晩は美味しいお酒を飲んだ。
ほろ酔い気分で帰宅するさなかで、Mein Professorのことを思い出していた。
いったい彼とわたしとの関係性とはなんであったのだろうか、彼の行為とわたしが受けた厚意。それと利他的と思える父性愛について。それらを考えるうちに、ようやくこれらを対比するものを得て考えられるようになった。
つまり母性愛というものだ。
わたしは今までの人生でこれが欲しくってしょうがなかったし、考えれば考えるほど得られないのではないかという不安に焦点を当ててしまって光が消えていくように感じられていた。
いやしかし、なるほど。ようやくにしてPro.Franklの云う『人生が待っている』ことを自分の人生に置き換えてみれば納得がいった。Mein Proがこういう道もあるということを示してくれて、わたしはその道に乗って歩き出し、欲しかったものを手にすることが出来た。
ただ、この話はすこし大袈裟なのかもしれない。けど心象世界であるここでは、どんなに小さなことでも大きなことでも、気になったものは一定の意味を持たせている。
それでも焦点をあてたくてしょうがなかった衝動というのは、やはり、わたしにとってわたしの家族はわたしに情緒的に関わってくれなかったという思いがあるからだと思っている。
人が成長するのに必要な事柄は衣食住と情緒的な交流であるから、わたしはそれらを得られなかったし、世間体を気にする実母が本当に気に入らなかった。
だから、わたしは自立を迫られて、自分が自立をするのだと思ってきた。
それにわたしの文章はトートーロジー(文を誇張する)で満ち溢れているのは、強い敵意があるからで、満たされなかったことの多さから、更に他人に期待をして満たされない思いになって、攻撃性を抑圧した結果敵意に満ち溢れた人になってしまった。
しかし、わたしは憎しみや敵意に満ち溢れた世界から人間愛に満ちた世界を作っていくし、溢れている所を求めていく。それには耐え続けて自分以外の誰かが世界を変えてくれるという幻想は脱ぎ捨てて、魔法の杖をただの登山用の棒にして登っていこうと思う。
どんどん幸せになっていくことは、こういうことか。
ほろ酔い気分で帰宅するさなかで、Mein Professorのことを思い出していた。
いったい彼とわたしとの関係性とはなんであったのだろうか、彼の行為とわたしが受けた厚意。それと利他的と思える父性愛について。それらを考えるうちに、ようやくこれらを対比するものを得て考えられるようになった。
つまり母性愛というものだ。
わたしは今までの人生でこれが欲しくってしょうがなかったし、考えれば考えるほど得られないのではないかという不安に焦点を当ててしまって光が消えていくように感じられていた。
いやしかし、なるほど。ようやくにしてPro.Franklの云う『人生が待っている』ことを自分の人生に置き換えてみれば納得がいった。Mein Proがこういう道もあるということを示してくれて、わたしはその道に乗って歩き出し、欲しかったものを手にすることが出来た。
ただ、この話はすこし大袈裟なのかもしれない。けど心象世界であるここでは、どんなに小さなことでも大きなことでも、気になったものは一定の意味を持たせている。
それでも焦点をあてたくてしょうがなかった衝動というのは、やはり、わたしにとってわたしの家族はわたしに情緒的に関わってくれなかったという思いがあるからだと思っている。
人が成長するのに必要な事柄は衣食住と情緒的な交流であるから、わたしはそれらを得られなかったし、世間体を気にする実母が本当に気に入らなかった。
だから、わたしは自立を迫られて、自分が自立をするのだと思ってきた。
それにわたしの文章はトートーロジー(文を誇張する)で満ち溢れているのは、強い敵意があるからで、満たされなかったことの多さから、更に他人に期待をして満たされない思いになって、攻撃性を抑圧した結果敵意に満ち溢れた人になってしまった。
しかし、わたしは憎しみや敵意に満ち溢れた世界から人間愛に満ちた世界を作っていくし、溢れている所を求めていく。それには耐え続けて自分以外の誰かが世界を変えてくれるという幻想は脱ぎ捨てて、魔法の杖をただの登山用の棒にして登っていこうと思う。
どんどん幸せになっていくことは、こういうことか。
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