私は私でなくても良い
2014年11月13日 日常哲学的な客観論。
ここ数日連日デジャヴを体感している。今もまさに用事がなければ来なかったカフェに入ったら、体感した。実に同じ人生を繰り返していると考えてしまう。多分、そうなのだろう。そう仮定すると私は私でなくてもよいとも考える。
けどそうすると自我が崩壊してしまうから、体感して生きている私は死んでしまいたくないし、私は私の人生上の問題を解決したいから死んでたまるかと思う。女の人が笑いながらだったり泣きながら”幸せです”と吐露をして聴くまでは死にたくない。
多少の困難があって、人の感情は人生を輝きに満ちていると判断するようになる。
フランクルやアーレントのように死の淵に立たされることは、今のところなかったけれど、幸せを感じられるようになるくらい困難があったと思っている。
ここ数日連日デジャヴを体感している。今もまさに用事がなければ来なかったカフェに入ったら、体感した。実に同じ人生を繰り返していると考えてしまう。多分、そうなのだろう。そう仮定すると私は私でなくてもよいとも考える。
けどそうすると自我が崩壊してしまうから、体感して生きている私は死んでしまいたくないし、私は私の人生上の問題を解決したいから死んでたまるかと思う。女の人が笑いながらだったり泣きながら”幸せです”と吐露をして聴くまでは死にたくない。
多少の困難があって、人の感情は人生を輝きに満ちていると判断するようになる。
フランクルやアーレントのように死の淵に立たされることは、今のところなかったけれど、幸せを感じられるようになるくらい困難があったと思っている。
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