環境(システム)と戦ってそうそう勝てるはずがない中、戦ってきて。
それらがドンドン終りを迎えて、いま楽だ。身体が楽。こころは多動と環境の名残で慌ただしいけれど、ボォーっとしてる時間が増えたし、自分を自分で褒め称えられるようになった。とても自分が愛おしい。

インナーチャイルドという観念がある。
これは自分の中で生き続けている幼い自己像のことで、甘えられず苦しい生育歴の人が目にする言葉と思う。

自分はこの言葉を知らない時から、逃れようのない自己を、自信がなくて情けなくっても、漠然とだけれど守ってきた。そうだったからなのか分からないけど、非行にも自傷にもならなかった。ただ、非行に走れたら(困難はあるけれど)楽だったかと常々思う。自分の知っている世界に絶望しながら毒ガスを吐き散らす。けど、そうできなかったのは"知っていることから知らないところへ行くことへの恐怖"に他ならない。


格好良さ情けなさ頼りなさ、苦労を耐え抜ける力強さ。それら全部私のもの。喜びと楽しみは分かち合おう。しかし、悲しみの一切は誰にも渡さない。それは何故か?ご飯が美味しくなるからだ。

コメント