罰の予期 追記

2015年1月15日 日常
罰せられることを望んじゃダメさね。そなことしても楽しくない。
マイナスのストローク(生きている感覚)を求めたら悲しい。

少しずつ、変えていこう。
基本怠惰でいたいのだから、期限をもうけて努力しよう。


追記
生きてきた人生の中でめちゃくちゃ頑張ったことは生きていくこと。
だけど、努力したことは何かあるかと聞かれたら自分はまだない。

自分にとって、他の兄姉はしらないとして、母親は安心できる人ではなかったと思う。よく寝てたし、体調と気分の差が激しくて困惑してた。たくさん褒めてもらいたかったけど、勉強に打ち込んでみたかったけど、負の循環に入ってしまって努力することよりも、生きにくい環境と自分をどうにかするかが最優先だった。

こどもの時はだいたい無条件で頑張ってもいないのに頑張っているねと褒められる。けど、大人になったら無条件では褒めてもらえないし、例えば勉強などで切磋琢磨できる集団がいればいいけど、それもなければ自分で自分を褒めていくしかない。これは悲観的でも好感的でも、ただあるがまま。

でも、自分で自分に頑張ったねというのは良いけど、基準が曖昧になりやすくて、不安から課題達成型になった自分にとって「これでよい」といえる基準がわからない。蓋然性(もっともらしい)に乏しい。たまにあう友達は頑張っているじゃないかというけれど、それは観念を取り上げて行っているだけで実質じゃない。



死ぬほど、発狂するほど努力したってどんなこと?それって可能なの?

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