世代間伝達の観念は意味を作ることでしか存在しない。

個々の人間は個々の人間の人生を遺伝子に則って動かされている。
人間の意思は個々の人間という独立した存在では存在しえない。けれども、人間の意思や願いがあって文化や意識を形成してきたのではないかと仮説を立てる。この仮説から、世代間伝達は構想されうる。

母方の父、祖父は戦中早稲田の定時制高校に通っていたらしい。曽祖父からは意味がない働けと、記憶間違えでなければ…ううん、これは想像だけれど。祖父はそれじゃあ人生に意味がないと強く思ったのだろう。しかし、災難を祖父は自分から引き寄せてしまった、借金の肩代わりをしてしまった。交通事故に遭い、一生涯足を引きずる生活を余儀なくされる。貧困の始まり。

けれども不屈というのはこういうことなのだろうか。
足を引きずってでも働きに出た。朝から晩まで、家族6人。車を手に入れてからは、自転車屋として走り回った。幼稚園児だったころ、病院の帰りにその車に乗ったことがある。古い日産のバンだった。

若いころの祖父はどんな心持ちで生きていたのだろう。
晩年は長い寝たきり生活になり、殺してくれと発狂したそうだ。人生の終わり方は最悪な部類だと思う。若き日、情熱を燃やして知識人になろうとし、昼間働いて学びに励んだ。しかし、災難に遭って人生を摩耗し、大きな挫折を味わった。悔しかったろうな…本当に悔しかったろうな。

そう、そして、これは私の視点から構築した彼のことである。
意味があると思うのは私だけなのだ。そしてこの意味が必要なのは、私だけなのだ。

貧困から苦学して、貧困を抜け出そうとした彼を尊敬する。
結果的に貧困の泥に埋もれてしまったけれど、私は願いを叶える。

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