それが何であるか考える時、その事柄の外側にいる。
例えば多様性について考えるときに、多様性の中で生きられなかったか満たされなかった思いから、多様性について考え始める。

愛についてや人生について、幸福について、分からないから分からないなりに、輪郭を想像して現実にしていく。愛を求めるのは愛を知らない者。

夜中に目が覚めてふと思ったのは、散々考えてきた愛という観念は僕にとって不自然な気がすること。loveという概念は明治時代に入ってきたらしいけれど、情のほうがしっくりする。相手を説得して気持ちを与えて奪い去る観念(として)より、絶えずそこにあることが当たり前のような観念をもたせてくれる、情のほうが良い。

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