僕は40万円かけて卒論を書くべきだった。
当時の僕は一人暮らしをしていて、働きながら通信制大学に通っていた。給与は日給月給のため、ゼミの為に1日大学に通うという事は手取りが減ることになり、月の支払いに困ることに繋がっていた。すなわち経済的理由から卒論を断念した。

しかし、今になってあの時の決断は間違いではなかったものの、困窮を極めていたのならそのまま極めたままで卒論を書くべきだったと。テレビで尾木直樹さんが卒論を書き上げた子の顔は違うと語っていた。当時学部長だった近藤さんに卒業してからお会いしたら、是非書き上げなさいと仰ってた。実際に進めるかどうかわからないなかで院に進むにも留学するにしても、精度が低い卒論であっても、書き上げたこの事実は揺るがない。

いま、レポートに悪戦苦闘している。優秀な友人各位ならランプを擦るように仕上がりそうな軽いレポートが12本ある。1本1本は500〜900くらいで多くはない。
しかし、泣き言ばかりでは格好が悪い。どうして頑張るのか、いつも苦しみの中から探し出そうとする癖がある。ゆえに格好が悪くなりみっともない。

その代わりに意味を見出せたと考える。レポートを書いたり書き上げることは、ブルーカラーからホワイトカラー(研究職)への転身の布石なのだと。


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