前日のリフト作業が終わって、いつもの角打ちを引っ掛けて帰った。
花見用の4合瓶の日本酒を買って、家では白角ウィスキーを6杯分飲んで正午を回った。
昼には母親と待ち合わせというのに起きれなくて、というか支度ができなくて遅刻をした。なんだかんだ合流してから、再開発が進む街のカフェに入った。パンケーキが名物らしいけれど、お腹が減っていたしスフレのラザニアだっただろうか、ずいぶんと洒落たものを食べた。そこで両祖父母が亡くなった日付のメモを渡してくれて、それについてあれこれと話をした。またあいかわらず、父は飯と競馬にしか興味がなさそうな具合を母は語っていた。
母と待ち合わせをしたのは、中古の冷蔵庫を買ってくれるからだった。
一人暮らしの引っ越し当初、当時の上司の工場長から使える冷蔵庫をもらって、ベランダに置いていたのだが、引っ越しをして電源を入れて見たら全く冷えなくて困り果てた。そうしたら、友達がわざわざ埼玉の奥まったところから東京へ、上司からもらった冷蔵庫と全く同じ型の冷蔵庫を持って来てくれた。使えない冷蔵庫も自分の市なら、無料で引き取ってもらえるから持ってくといって。
もらった冷蔵庫は無料で引き取ったものだから、無料だという。それから5年間その冷蔵庫はよく冷えた。好意が非常にありがたかった。ただ現実的に100Lしかない冷蔵庫の中は、自炊をする僕に取って小さかった。それからは、よく「お金があったら大きな冷蔵庫を買いたい」と周囲に話していた。よく友達はクローゼットの中は四次元ポケットのようによく入るねと話していた。対比して冷蔵庫は小さくて入らないとつくづく思った。
そうした経緯を和解してから母は知り、冷蔵庫を買うということになった。付け加えてなにかと家財道具を送ってくるようになった。カーペットと空気清浄機だ。空気清浄機は毎日稼働している。
カフェから出て1件目のリサイクルショップを訪ねてみた。そこには狙っていた日立の400Lオーバーがあったのだけれど、どうやら売れてしまったらしい。
他にも400Lオーバーはあって、どうしようかと予算には合わないしと、1時間近く考えた末にもう一軒行ってみようということになった。そうしたら、さきほどの店よりも半分の敷地面積だけど、状態も良くしかも安い冷蔵庫が何台も置いてあった。
母は外に置かれている、まだ引き取ったばかりであろう冷蔵庫に目星をつけて、店内を見た後に店主に交渉を持ちかけた。そうしたら、400Lオーバーの冷蔵庫が送料消費税処分費をひっくるめて4万円という破格な値段を提示して来た。なので、即決して家に帰ることにした。
自宅のアパートに帰る前に、母はレンタル自転車を借りたいと行って30分ほど、一緒に下町の路地を歩いた。65歳を迎えた母はずいぶんと小さく見えた。歩く歩幅も中学生のように小さく思えた。雨にぬれても大丈夫なようにと買った合皮のリュックが背中と一緒か大きく見える。
そして自宅に戻り、一週間ちらかったアパートの中を掃除することになった。ふたりで掃除をすることは何十年ぶりなのだろうか?そして、いい頃合いだと思ってお茶菓子を買いに行って、笑点をみた。なんだかドギマギしつつ、穏やかな日曜日の夕方を過ごした。
冷蔵庫が到着してから、だいぶ前から話していたつけ麺を食べに行った。昼間は暖かな日だったけど朝晩は冷え込み、僕はつけ麺で母はラーメンを食べた。母はお腹が減っていたのか、ぺろりと特製ラーメンを平らげた。美味しいと行っていたしこちらも大満足で誇らしげ。
最後、アパートによっていくのかと思えば玄関の前で「このまま帰る」といって自転車にのった背中を見送った。渡そうと思っていた化粧品のサンプルがあって、渡しそびれたことに僕はがっかりした。
念願叶って大きな冷蔵庫を手に入れてこれからは毎日包丁を握る生活ができる。包丁自体これまでも握ってきたけれど、料理を冷凍保存や多めに作ってしまった煮物を鍋のまま保存ができるのは非常にえらい。いま冷蔵庫に入れられそうなものを入れて見たら、案の定、簡単にいっぱいになりそうな気配がしている。ペットボトルやお酒の瓶をたくさん買って入れるだろうし、テキーラは冷凍室へ、一升瓶は野菜室へ。これから暑くなってアイスが食べたいとなったら一人暮らしだけれど、ファミリー用のアイスを安くふんだんに買ってきて冷凍庫を覆い尽くすだろう。
お腹が減りがちな、愛情飢餓感がある末っ子の僕にとって食べることは安心や満足すること、そしてそれを満たしてくれる冷蔵庫という機械には安心と希望が詰まっている。
母が帰って翌日の夢は心理的な夢になった。
心理的な夢の色はだいたい灰色と紺色の水色が色彩として埋め尽くされている。
そこで体験したのは、ロードバイクにのって激坂を降ったり、ほぼ落ちながら漕いでいる夢だった。しかも、ギアはトップギアで普段は非常に重たくて回せるようなものじゃないのに、平然と回していて、下り坂のインナーのトップじゃまだまだ足に余裕があると思ってアウターに変速してみたら既にトップギアの状態だった。
あまりの速度に驚いたり危機感からブレーキを少しかけてみるものの、速度自体に恐怖感がない。自転車を乗っていて恐怖感がないのは不思議なこと。しかも、まだ漕ぎ続けられる体力と自信がからだから込み上げてくる。
「ああそういうことか」とロードバイクジャージ姿の自分はいって目が覚めた。
花見用の4合瓶の日本酒を買って、家では白角ウィスキーを6杯分飲んで正午を回った。
昼には母親と待ち合わせというのに起きれなくて、というか支度ができなくて遅刻をした。なんだかんだ合流してから、再開発が進む街のカフェに入った。パンケーキが名物らしいけれど、お腹が減っていたしスフレのラザニアだっただろうか、ずいぶんと洒落たものを食べた。そこで両祖父母が亡くなった日付のメモを渡してくれて、それについてあれこれと話をした。またあいかわらず、父は飯と競馬にしか興味がなさそうな具合を母は語っていた。
母と待ち合わせをしたのは、中古の冷蔵庫を買ってくれるからだった。
一人暮らしの引っ越し当初、当時の上司の工場長から使える冷蔵庫をもらって、ベランダに置いていたのだが、引っ越しをして電源を入れて見たら全く冷えなくて困り果てた。そうしたら、友達がわざわざ埼玉の奥まったところから東京へ、上司からもらった冷蔵庫と全く同じ型の冷蔵庫を持って来てくれた。使えない冷蔵庫も自分の市なら、無料で引き取ってもらえるから持ってくといって。
もらった冷蔵庫は無料で引き取ったものだから、無料だという。それから5年間その冷蔵庫はよく冷えた。好意が非常にありがたかった。ただ現実的に100Lしかない冷蔵庫の中は、自炊をする僕に取って小さかった。それからは、よく「お金があったら大きな冷蔵庫を買いたい」と周囲に話していた。よく友達はクローゼットの中は四次元ポケットのようによく入るねと話していた。対比して冷蔵庫は小さくて入らないとつくづく思った。
そうした経緯を和解してから母は知り、冷蔵庫を買うということになった。付け加えてなにかと家財道具を送ってくるようになった。カーペットと空気清浄機だ。空気清浄機は毎日稼働している。
カフェから出て1件目のリサイクルショップを訪ねてみた。そこには狙っていた日立の400Lオーバーがあったのだけれど、どうやら売れてしまったらしい。
他にも400Lオーバーはあって、どうしようかと予算には合わないしと、1時間近く考えた末にもう一軒行ってみようということになった。そうしたら、さきほどの店よりも半分の敷地面積だけど、状態も良くしかも安い冷蔵庫が何台も置いてあった。
母は外に置かれている、まだ引き取ったばかりであろう冷蔵庫に目星をつけて、店内を見た後に店主に交渉を持ちかけた。そうしたら、400Lオーバーの冷蔵庫が送料消費税処分費をひっくるめて4万円という破格な値段を提示して来た。なので、即決して家に帰ることにした。
自宅のアパートに帰る前に、母はレンタル自転車を借りたいと行って30分ほど、一緒に下町の路地を歩いた。65歳を迎えた母はずいぶんと小さく見えた。歩く歩幅も中学生のように小さく思えた。雨にぬれても大丈夫なようにと買った合皮のリュックが背中と一緒か大きく見える。
そして自宅に戻り、一週間ちらかったアパートの中を掃除することになった。ふたりで掃除をすることは何十年ぶりなのだろうか?そして、いい頃合いだと思ってお茶菓子を買いに行って、笑点をみた。なんだかドギマギしつつ、穏やかな日曜日の夕方を過ごした。
冷蔵庫が到着してから、だいぶ前から話していたつけ麺を食べに行った。昼間は暖かな日だったけど朝晩は冷え込み、僕はつけ麺で母はラーメンを食べた。母はお腹が減っていたのか、ぺろりと特製ラーメンを平らげた。美味しいと行っていたしこちらも大満足で誇らしげ。
最後、アパートによっていくのかと思えば玄関の前で「このまま帰る」といって自転車にのった背中を見送った。渡そうと思っていた化粧品のサンプルがあって、渡しそびれたことに僕はがっかりした。
念願叶って大きな冷蔵庫を手に入れてこれからは毎日包丁を握る生活ができる。包丁自体これまでも握ってきたけれど、料理を冷凍保存や多めに作ってしまった煮物を鍋のまま保存ができるのは非常にえらい。いま冷蔵庫に入れられそうなものを入れて見たら、案の定、簡単にいっぱいになりそうな気配がしている。ペットボトルやお酒の瓶をたくさん買って入れるだろうし、テキーラは冷凍室へ、一升瓶は野菜室へ。これから暑くなってアイスが食べたいとなったら一人暮らしだけれど、ファミリー用のアイスを安くふんだんに買ってきて冷凍庫を覆い尽くすだろう。
お腹が減りがちな、愛情飢餓感がある末っ子の僕にとって食べることは安心や満足すること、そしてそれを満たしてくれる冷蔵庫という機械には安心と希望が詰まっている。
母が帰って翌日の夢は心理的な夢になった。
心理的な夢の色はだいたい灰色と紺色の水色が色彩として埋め尽くされている。
そこで体験したのは、ロードバイクにのって激坂を降ったり、ほぼ落ちながら漕いでいる夢だった。しかも、ギアはトップギアで普段は非常に重たくて回せるようなものじゃないのに、平然と回していて、下り坂のインナーのトップじゃまだまだ足に余裕があると思ってアウターに変速してみたら既にトップギアの状態だった。
あまりの速度に驚いたり危機感からブレーキを少しかけてみるものの、速度自体に恐怖感がない。自転車を乗っていて恐怖感がないのは不思議なこと。しかも、まだ漕ぎ続けられる体力と自信がからだから込み上げてくる。
「ああそういうことか」とロードバイクジャージ姿の自分はいって目が覚めた。
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