コトリーでスキーマ療法についてインタヴューを受けている伊藤先生の記事を読んで、力が抜けてしまったんだと思う。レポート作業の締切日が近づいてきて、なおかつ無収入の状態で精神的にはかつかつな状態。不安感は感じていないように思えるけれど、それを感じていたらレポート作業ができないから、自己防衛をしているといえる。
 僕は自己防衛っていう言い方は人間が弱い存在と規定している、自分が弱いと言ってる気がして好きじゃない。ただ、そういう状態なんだよって、中態動で指す言葉を僕が知らないから、自己防衛という言葉になってしまっている。 そもそも、自分は一定の状態を表すことが好きで、説明文が長くなってしまう。それに丁寧に、端折れないかららりるれろと長い。

 僕は自分自身の不甲斐なさをずっと感じていて、それらの原因は僕の内側にはなかった。不甲斐なさを感じさせる環境にあった。けれども、そうした環境にあって辛くて、傷つきを、生傷を癒す時間や癒し方がわからなくて、レジリエンスとして最強の"忘却"を知らずしらず実行していた。自身の特性を環境圧力が促進したのだ。(そうだそうだ、怒れ怒れ、自己反省は怒りを燃やし尽くしてからでもできる)

だから、このブログで傷付きを、怒りを、語り尽くしたいと思う。これについてごちゃごちゃいうのは絶対に許さない

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