11月17日の日記

2018年11月16日 日常
 今日の未明に目が覚めた。やけになって酒を煽って気持ちが悪くなって起きたらしい。それでツイキャスの放送があったから参加してみて、そのDJと対話をして出てきたのが、生きるために勉強をしてきたという話だ。その人はどうやら東大出身の専門職らしい。ただ、東大出身になったものの、自分にはその看板が重たすぎるし、今の専門職も生きるためになったから、好んで勉強をしてきたわけではないことがわかった。

 以前、初めて会ったいまは読書会の友達に唐突に話をされたのが、大学選びの際に「東大だから文句がないという思考停止」だったといっていたことだ。ぼくも何か一番の大学を目指すならわかりやすい東大を選ぶけど、実際に僕が選択したのは余計な未来がつくところだった。
 それはさておき、ぼくも生きていくために勉強をしてきた。それが援助職に就くための一切の努力である。仕事選びもお金の使い方も、仕事の休憩中には専門職が読んでそうな記事ばかりを読んでいる。ただそれらが、勉強だけ、強いるだけの行動であったかと問われれば違うのだ。労働の中の息抜きであったり、労働のつまらなさや仕事中の会話があまりにも下世話なことばかりで、新鮮な話や感動する話、哲学...つまり驚くようなことを感じて考えていたいから、きっとこの先に僕と同じことで驚いている人たちに会いたいから、そうだとも...繋がりたいから学んできたのだ。
 だから、なにもかも辛いことばかりではなかったはずだし、『スプートニクの恋人』に登場する天才ピアニストのミュウのように、吐き捨てるように「あれだけピアノに人生も身も心も捧げてやってきたのに、得られたのは小さな賞と少しピアノが上手くなっただけ」(うろ覚えなので意訳)と、そうぼやくのはもうやめよう。尊敬するフランクルのロゴテラピーを痛烈に皮肉るほど、燃え尽き症候群になったし、きっとうつ病にもなっていた。そういうのを相談しても、勉強が嫌いなだけでしょって言われて、水の底に落ちていった。まるで自意識(主体性)の崩壊だった。 よく、死なないで生きていられた。凄いことだ。

生きるための学問から、興味が赴くままの純粋な学問をしていきたい。
決意とはいつも早くに崩壊してしまうけれど、決断とは人生の転換点になるかもしれない。ふりかえって、なんでもなかったと感じればそれまでだし、そうだと感じたのなら何にしても意味があったと言える。全ては一切は過ぎていく。言論上では人の記憶に絶対のアイデンティティは見出せない。(定時制時代から一歩考え方が進んだと思う)海馬だけが記憶を担保しているわけじゃなくて、心臓にも他の器官にも記憶の補助があるはず(身体ソマティック)だから、何も完璧ではない。記憶は損傷するし、書き換えられるしハードも劣化するし。





 

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